人は手軽さと気持ち良さのバランスで物事を決める

ねるかです。

久々に色々喋ってて思いついたことをメモ書きのように残したいと思います。


悪口について


悪口の良いところは

・お金がかからない

・話題性が高く、また注目を集めやすい

・ある程度の知識や経験があれば簡単に様々な考えと結びつくので話を広げやすい

という良さがある、とする。

もちろんメリットの裏にはデメリットが存在するが結局のところ悪口は如何に説得力を持たせて聞く人をその気にさせるか、という点に特化していれば成立するのであれこれデメリットを並べたところで全て論点が逸れてるとも言える。ディベートや開発会議、商売なんかも「如何にして相手を乗せるか」なので悪口の事だけ批判するのは結果的に不可能ではないか、と考える。

とにかくこの利便性とコスパの良さが売りである。


ストーキングについて


悪口を言いたくなったらある程度対象物の観察が必要だ。よく「アンチはファン以上に詳しい」と言われているがどこに叩けるポイントがあるか見極める必要がある以上、盲目的に感情を持てばいい状態と違ってくる。昨今「好き」の感情を表す語彙が簡略化しながらも「嫌い」の感情を表す語彙は昔と変わらないor複雑化している傾向にあるのではないかと考える。

今回この文章を書くにあたって自分がソースとしている体験がある。詳細は省くが現在もいわゆる「悪口」が言われている実態を把握している。

しかしながら何故それが可能なのか。ソースとなった体験というのはもう数年以上前の話であり、関係者はほぼ全員当時とは違うコミュニティに属しその話題を知らない場合が多い。

そこで「悪口」が有効的に活用できるわけだ。

先述の通り、ジャンキーでウマい話をすれば話題性も抜群だし注目も集まる。結果としてその話題を共有するコミュニティがひとつ増えるわけだ。

そのコミュニティが次に目指すのは「実際に見ること」。そうする事によってより実体験として自分の印象に残り「気持ち良さ」が増加するのである。

この結果集団(あるいはごく少数単位での)ストーキングが発生すると考えられる。

話題の「共有」と「質量」。シンプルながらに長期的なコンテンツが持つ部分はどんな物であっても変わらない。


被害と加害について


ここからは過去の自分に対する反省の要素が多く含まれる。自分のために書いてるので読んだ人の反応は想定してないことを先に謝罪します。

先程述べた「過去の体験」の事の発端は自分自身であった。自らその場所に赴き、自らの取った選択が重なり現状(今書いていること)がある。

言ってしまえば100%自己責任であったのだ。内容は様々なオマケの要素を含みながら膨らみ、様々な形でそれに立ち会った人の中に残っている(その残っている人の中に悪口やストーキングという形で消化している人がいる)。

結果として自分は様々な形で殴られ続ける人生を選ばざるを得なくなった。ここまでは自己責任である。問題はここから先の話だ。

先述の通りそれに関わった人はほぼ全員違うコミュニティに属しているのが現状である。しかしながら当事者を含めそれという話題は広がっているのだ。理由はもちろん注目であったり、お茶請けで出されるお菓子のような役割を持ってる場合もある。とにかく「話す上で非常に都合が良い」のだ。

それについての「悪者」は自分自身なのである、ということは自分側のコミュニティでは「悪意あるイジり」として、相手側のコミュニティでは「正義の使者」として話題を利用できるのだ。


自分が何かそれに不満を持つことはコトの発端が自分自身である以上ある意味「禁止」されている。なぜなら「悪者」だからだ。

結果的に自分が撒いたタネで自分自身を全方向から殴り痛めつけている。

どうしようもないよな。こればっかりは。

自分がきっかけになった事を辞めろだなんて言えず、謝罪などの形を以って収束させようともこんなにも楽しい話題をクズの土下座ひとつで終わらせろなんて到底不可能なのである。

不死のコンテンツである

誰もが笑顔になれるのが悪口である

それが不愉快なら自ら死んで聞けないようにすればいいのだ

それすらも話題になればさらに笑顔が増える

ほんのわずかに存在したであろう心を痛めてくれた人もこれ以上目の前で起きてることに気を病む必要がなくなる

幸せではないか

人の思いを受け止められる人はそれ以上に自分自身のことをしっかりと受け止めるべきである


もう人前に立てない話

「悪者」を「悪者」と認知している人が存在する以上その名前は呼ばれ続けるものだ。これは幼い子が友達の呼び名を思いついたまま成長する事に似ている。

悪者である以上、誰も巻き込みたくないと思うのが本音である。

現実はイジりとしてジャンクに楽しむ人もいるし、おおよそ気に留めない/その人はそういう人なのかと知って終わる場合がある。

だがしかし、「悪者」と仲良くすることはデメリットの塊である(ここからジャンクに楽しむ人は何かあった時の保身になる理由から合理的ですらあると思われる)。

現在まで何度も「悪者」であるが故に様々な体験を繰り返してきた。

新しい自分の居場所を作ったら、そこでは何もなかったように振る舞うのが常だ。

もし話題に出すとしてもとにかく実態が掴めないようにボカす事に集中して言葉を選ぶ。

だが結局それを知ってる人がお願いしなくてもご丁寧に拡散してくれるんだよなぁ…

そうやって自分に興味を持った人が何人も自分のところに訪れている。

恐らく知らず知らずのうちにアルバイト先に来ていたり、堂々とSNSを見ていたりするのであろう。

実際にSNSを見られていたという噂はあるのだが。自衛のためにアカウントを変えたりしているがあまり効果がないのも結局「悪口共有コミュニティ」の効力とそれを知ってる人のネットワークで特定されてしまう為である。

いっそ開き直って堂々としている場合もあるのだが風当たりは強い。仕方ない。


もうこれ以上何かを話すのは推測の域に達するので結果的に相手への悪口になってしまっては元も子もない。そのためここでこの話題は終了とする。


現状と今後について

・最短ルート→4ぬ

・精神衛生を良くするルート→SNSを辞める

・護身するルート→今住んでいる場所から離れ、新しく住む場所の明言を避ける


現在21歳、4年制専門学校の3年生である。最速で護身できるのは1年半後(就職)となる。

SNSを辞めることは非常に効果的であるが現在のツールとして、また将来の仕事道具として手放すことは非常にリスキー。多少腹を括って向かい合う必要がある。

4ぬのは容易いし「自分以外が傷ついて欲しくない」というコンセプトにも直接効果的に作用する。考えものである。


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