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××で文化的な最低限度の生活

歳をとってしまったなと実感するのは、不本意ながら風邪が重症化しつつある時だ。昔は風邪引いても寝ていれば治ったのに。今じゃ湯水のごとく薬代をつぎ込んだって悪化する一方だ。金は無いけど健康だった時代を経て、金を得て健康を失っていく。

こうして病気(風邪なんて大したことはないが便宜上病気とする)になってみるとわかるが、自分が世界一不幸になった気分になる。だけど誰かに甘えたいとかそういうことを思ったりはない。経験上老人だとかまって欲しくなったりするものだが。まぁ、甘えたって治るものではないし。甘える相手もいないし。

健康で文化的な最低限度の生活とは。『身体・精神・社会的に充足している状態』と答えるのが模範解答であり、教科書のお約束であるが、大半の人間は下2つが未充足であろう。三つ満たして最低限度とはよく言ったものである。三つとも満たせていない現在の私は屍同然とでもいうのであろうか。いい加減にしてくれ。だいたい精神的に充足ってなんだ。そんな毎日毎日お気楽ハッピーな人間なんているのか。

看護する側の人間が不健康になってみるとわかるが、看護する側の人間を看護してくれる人間は誰もいないということに今更ながら気付いて笑うしかなくなる。できれば気付きたくなかった。きっと、たぶん結婚したとして、結婚相手や義理の両親に『看護師』という肩書きだけで『安心』などと言われ、大好きな祖父母には早々と死なれ、私は実の両親と義理の両親の介護に追われ、社会人になって1人暮らしをしている弟とはなぜか音信不通になり、患者のオムツを交換している間に大切な人に先立たれ、私は1人で死んでいくんだろうな、とか考える。
浅ましい人間のくせにいずれ幸せになれるだろうなんておこがましいことは思っていない。最悪なシナリオは想定している上での私の進路だ。これは私が選んだ道だ。だから、脳みそをこねくりまわしてでも納得して、そういう人生を生きていくしかないんだと思う。私は私が一番なりたくなかった大人に近づいている。仕方ない。自分で自分の人生を決めてしまうのをひどく恐れた過去の馬鹿な私への罰だ。懲役だと思えば耐えられると思う。ていうか耐えなければならないんだけど。死は救済。がんばろうね。


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