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演劇を観たらしんどくなった話

彼氏が制作・演出・出演している演劇を観に行った。私は彼が演出や役者として関わっている演劇は付き合い出してから全部観ている。どれもこれも、彼の生き方や考え方が節々にチラチラと透けて見えて好きだ。
先日、彼に「今回の芝居、結構イチャついてるけど大丈夫?」と言われた。
カップルの芝居をしているのを散々見て来た私に今更何を言い出すのかと驚き、「えっ大丈夫だけど…」と引き気味に答えたのをまだ覚えている。


芝居を観た。
ボロボロ泣いた。
雑貨屋の女店員が「初恋の練習」と称して、彼演じるお人好しな店長に練習相手として期間限定の恋人をしてもらう、という内容の二人芝居だった。ほとんど記憶に残っていないがそういう話だと思う。

確かに、それなりにイチャイチャはしていた。していたけど今まで観てきた中ではさほどではなかった。だから私の意味不明な涙はそれだけが理由なのではない。それだけは確信できていた。
普段、彼の恋人役の芝居を見ても泣いたりしたことがない私が唯一ぽたぽたと涙を流しながら呆然と観てしまったのは、絶対に別の理由があるはずだ。

人助けのつもりで軽率に別の女店員とヤったり、言い寄って来る客と付き合ったりする店長のイラつくほどお人好しな性格、言動、態度、話し方、雰囲気。ぜんぶ彼にしか見えなかった。
今までの芝居は、芝居の中のキャラクターが確立していて、確かに彼の面影が見え隠れするものの、それが『役者:男1』の個性としていい感じにアクセントが出ていて愛おしかった。
だけど今回は彼にしか見えなかった。言ってること、やってること、絶対自分が幸せになれなさそうな優しさとか、不憫な扱いを受けがちなところ、それでもやっぱり人に優しくしちゃうところ、考えてることが全部イライラするくらいに彼だった。
そして女店員(以後サブカルクソ女)の、他人を恋愛の練習台にして別の男と付き合いたいとか言い出すクソミソっぷり。
でもお前最終的に「やっぱり店長が好きですウワーン」ってなるやつだろ。結局大事にされるんだよな。わかってるぞ。いいよな。不器用を武器にして優しさにつけ込む女だよな。
もう全編通して勘弁して欲しかった。好きになっちゃったからなんだろうけど、「思い出を残したいから写真撮りましょうよ」とか言い出すサブカルクソ女の発言に対する、ちゃんと練習台になろうとする店長の「それが君の好きな男に見られたらどうするんだ」と、私が普段見ている彼の「ちゃんとした大人」の対応を芝居の中でも目の当たりにしてしまって心が死んだ。
物語の解釈は人それぞれだ。だからせいぜい私が見た30分間での解釈と、台本を何度も何度も読み込んで、登場人物の気持ちを落とし込んで芝居として昇華させている2人とは厚みも重みも、絶対に解釈が違う。私から見たあのサブクソ女店員はどう見ても激ヤバ地雷女にしか見えなかったが、演じていた彼女があの本を読んでどう感じてどんな気持ちで演技していたかは本人にしかわからない。うまくあらすじを濁しているつもりだが、もしあの役を演じていたあなたがこのnoteを見ても、そんなにショックを受けないで欲しい。

痛々しいくらいに不憫で、全編通してあまりにも彼だったから、あのサブカルクソ女に彼を取られた気分になった。私と付き合わなかった場合の世界線の彼ってああなってたのかなと。そんなわけないのに、本当に馬鹿だなと思う。元々演劇をかじっていた身だから、特に。私がやりたくてもできない演劇の中で、彼が彼のままで生きているように見えたこと、クソ女がクソすぎることに腹が立って切なくなって情けなかった。劇中、私もう死んだ方がいいのではと何度も自分に言い聞かせ、怒りと悔しさと理不尽さと嫉妬と怨念と虚無感と愛しさと切なさと心の弱さが汚らしい涙になってぽたぽたと私の崩れたファンデーションの上を伝っていった。

終演後、何事も無かったように彼と街をぶらつき、うどんを食べ、いつものように芝居の感想を聞かれる。
夜の部の芝居の準備時間、つまり彼との別れの時間が近づいてくると、「芝居良かったよ」なんて作り笑いはどんどん剥がれ、最終的に「あの話あんまり好きじゃない」などとこぼした。数時間前に流した薄汚い涙をまた流しながら。
最悪だけが生まれてしまった。

私が初めてこんな思いになるのも、役者の2人の芝居が素晴らしすぎたというのが1つの原因だと思う。相当な時間をかけて2人で男女の考え方の違いや恋愛観の話し合いを重ねてきたのかなと感じた。実際そんな話し合いなんかやってなかったとしても、芝居に惹き込まれたのは事実だ。
脚本の人間らしい繊細さ、役者の魅力、妙な生々しさが統合されて私の心が抉られただけだから、きっと別のキャストでまた上演されたら違った良さが生まれると思った。

演劇を続けたかった気持ちはいまだに引きずっているが、その反面今日の出来事で私はつくづく演劇をやってなくて良かったなと思った。芝居の中の話でいちいち一喜一憂して、どちらかというと激ヤバ地雷女なのは私の方ではないか。そんな人間が芝居をやって、めちゃくちゃにならないわけがない。勝手に観て勝手にやさぐれているほうが私にはお似合いなんだと思う。

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