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「年上好き」という病気が治らない


思い返せば私の21年間の人生で、同世代を好きになったことってほとんどなかった。いつだって素敵だなと思って惹かれる男性は一回り以上離れた人だった。

学年に1人はいる、なぜかずっと大人と付き合ってる女子、そのポジションをわたしは中学生の時から守り続けてきた。「大人と付き合えるなんてすごいね」そう言ってくれるクラスメイト達の声が決して良いものばかりではないとわかっていながら、「みんなと違う」という気持ち良さに浸っていたと思う。もちろん「変わってるね」という声が聞きたくて付き合ってたわけじゃない。それだけで好きになってたわけじゃない。


年上のなにが良いのか。

最大の良さは私が知らないことを教えてくれるところ。楽しい場所も夜遊びも美味しいご飯も気持ちいいセックスも。私が経験したことない、見たことがない世界を教えてくれる。私より長く生きているほどそれと等しく私よりなにかを知っている。

あとは、色々教えてくれている時の中でも、自分の趣味の話をしてくれている間の、あのキラキラした少年のような目が好きだ。車でも高級時計でも服でも靴でもアクセサリーでもフレンチ料理でもなんでもいい。私よりいくつも上なのに、無邪気に説明してくれたり、お店で選ぶときに時間をかけているところも、全部愛おしく感じる。可愛い。

そして、聞き上手な人が多い。私が何かに悩んでいる時、大体同じような悩みに若い頃ぶつかったことがある人だと、全部聞き入れてくれた上で、解決策や打開策を教えてくれる。導いてくれるのが上手い人は、指導力があって仕事のできる人だったりする、そういう年上は人としても尊敬できるからついつい素敵だなぁと見つめてしまう。聞き上手な人には日常であったあれやこれやを話したくなるから、他愛もない話題を言い合える関係性が築きやすくなる。

ちょっと混じってきた白髪も、みずみずしさが減ってきた肌も、暖かい手のひらも、年上特有の落ち着きがなによりも大好きだから、いつだって私のときめきを奪っていくのは大人だった。


もちろん年齢で人を見たり好きになってるつもりはない。数字だけで見るならわたしだって将来のことを考えて歳が近い人と付き合いたい。でも好きになるのはいつも年上。精神年齢の高さとか落ち着きとか余裕を求めると、結局10歳以上年上じゃないとクリアできないから。

だが、これだけ年上が好きだと叫んでいる私も、年齢だけ見て近づいて痛い目を見たこともある。私の倍の年齢の人としばらく一緒にいたことがある。その人は精神的にかなり幼稚で、私が思い通りに動かなかったら機嫌を損ねてしまうような性格だった。普段はたくさん可愛がってくれるけど、節々に彼の望む行動や欲しい言葉を私が与えないと口を聞いてくれなくなる瞬間があった。私は自分よりも落ち着いていて人として成熟している人を求めているのに、自分よりも幼稚な言動や行動を取られるとがっかりしてしまっていた。彼は彼で、一見言うことを聞きそうな私が実は全然言うことを聞かないことにびっくりしていただろう。だからうまくいかなかったんだけども。


わたしが欲しいもの

恋人に「○○(私)といると、付き合ってるよりも育ててる気持ちになる」と言わせてしまうことが多かった。そうさせているのはいつもわたしの方で、「恋人」から「養ってもらう人」に転じてしまう自分が嫌だった。恋人に安心感を求めた結果、甘え方が子供のソレで、だんだんと大人同士だったはずの関係性が崩れてゆくのであった。

過ぎゆく男性は、「守ってあげたい。今にも消えてしまいそうなところが不安で仕方がない。」という私の輪郭を強くしようとする人が多かった。わたしが与えてしまう不安によって束縛とか嫉妬を当てられることが多くてしんどく思う瞬間もあった。確かに一人暮らししてても自分の家に帰らないし、突然連絡返さなくなったりするし、急にいなくなる感じの危うさがあるのは我れながらなんとなくわかる。でも、丸ごと受け入れてくれるというなら自由にしていてほしい。意外とたくましいし生命力もあるのだから。という気持ちもある。

落ち着きとか、精神年齢とか、言ってるけど結局わたしが求めてしまっているのは「父性」に近いもので。自分の中で創造した理想の父親みたいな人にどこか惹かれてしまうのだ。世界の誰より私を愛してくれて、色んなところに連れて行ってくれて、優しくて温かい、そんな父親が欲しいだけだった。

どこまでいってもわがままで、それを受け入れてくれる人を探しているだけなのかもしれない。


こうなったきっかけ

田舎で育った私には、近所に歳の近い子供がいなくて、遊び相手はいつも向かいの家のおじさんだった。オセロしたりかくれんぼしたり自転車に乗る練習をしたり、小学生の頃から一緒に遊んでいたのは決まっておじさんだった。思い返せばその時から私の年上好きの歴史は始まっていたのかもしれない。

そしてもう一個。私の父親は、私が中学2年生の時に亡くなっている。元々家族よりも仕事や趣味に打ち込んでいた父が、私は幼い頃から苦手だった。スキンヘッドだった父は、犬をトリミングしたバリカンでそのまま自分の頭も剃るようなちょっとクレイジーな人だった。そんな父に、私の理想とする「父親像」は当てはまらず、ずっとモヤモヤしたまま過ごしていたら亡くなった。わたしがいつか欲しかった父親からの温かさはどこかに消えてしまった。消えてしまったのに、わたしは無意識に探しているのかもしれない。

年上とばかり付き合う女の子は、片親が多いとか父親からの愛をもらってないとかよく聞くが、それはあながち間違っていないと思う。みんな、自分が欲しかった何かを大人になっても探し続けているのだと思う。


さいごに

素敵な年上がいれば、そうじゃない年上もいる。それはもはや年齢関係なくその人のパーソナリティの問題ということはわかっていながらも、「年上好き」という病気に近い性癖はまだしばらく抜けそうにない。私はこれからも現状維持でゆるゆる生きていこうと思う。これを読んでくれている人も、自分の抱える「欲しいもの」に素直に生きてほしい。


最後にわたしが今1番ほしいものを書いて締めます。


ちんぽ


ありがとうございました。

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