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わたしの、いま、について

「あ、この人って自分の人生に必要な人なんだ」と、うっすらだけど確実に、そう本能的に思える相手と出会った。
同時に、結婚とか、子どもとか、将来のこととか、これまで考えたこともなかったことを想像するきっかけも生まれた。

私のこれまでの恋愛って、もちろんそのタイミングで付き合っていた人のことは大好きだったし、誠実でいようと努力していたし、可愛いと思ってもらい続けるために自分磨きを怠ったことはなかった。でも、無理はしていた。相手の顔色を伺いながら、必要以上に気を使いながら、楽しいんだけど、自分の本心は伝えられない。そんな関係性でいることが多かった。

過去たちへ
一番長く付き合っていた彼氏、わたしは本当は異性とご飯になんて行ってほしくなかったけど、「君を信じているし、信じてもらってると思ってるから、女友達とご飯に行くことを伝えているんだよ」と言われ、モヤッとしても、(そういう人で、そういう考え方だったら仕方ないよな)って、無理やり自分を納得させて、結局、自分の中のモヤモヤを伝えることはできずに別れてしまった。
別の人と付き合ったときも、美容院に行った帰り、気分が良くてお土産にお菓子を買って帰るために少し遠回りしただけなのに、「帰りが遅い」と怒られて、お菓子を目の前で捨てられたのに、自分の悲しさを訴えずに別れたこともある。

思うことがあっても、上手く言葉にできないし、喧嘩するくらいなら自分が我慢した方が長引かなくてストレスも減ると信じていた。

そんな、自分が信じていた考えを、最近、正すようにパートナーに言われた。
「言いたいことは言うべきだし、もっと素直になった方がいい。我慢されても、気持ちは分からないし、話してもらえないさみしさもある。だから、もっと自分の気持ちに正直になってほしい」
そう諭してくる彼氏に対して私は、
「そんなこと言われても困る。私のこれまでの生き方を否定するの?家族にも心配をかけないために、嫌なことがあっても言わずに乗り越えてきて、上手く生きてきたつもりなのに、どうしてそんなことを言われなきゃいけないの?言いたくても言えないことだってあるし、その言葉で相手を傷つけたら元も子もないじゃん!」
と返した。
素直になってほしい彼氏VSそんなの無理な私。
客観的に見れば、彼氏が正しいことを言っているのも、自分が考えを改めるべきなのもわかっている。でも、これまでの生き方や考え方を変えるのって、大人になればなるほど難しい。
だからこそ、いま、変えようと思った。

ただ、自分のために自分を変えるのは少しハードルが高いから、まずは彼のために自分を変えることにした。それは回り回って自分のためになるとわかっていたから。

「そのままで、素直なままで、いていいよ」
と、言ってくれる人はこれまでいなかったし、これからも現れないんじゃないかなと思う。ありのままの自分を愛してくれる人に対して、(もちろんいい意味での気は使うが)なにかを我慢したり、気持ちに嘘をついたりするのはやめようと誓った。
そのとき、初めて、将来について考えることになった。


呪い

自分の思う性格は、「暗い」。
気を抜いたらどんよりしてしまう。でも、自分の根っこには、激しくポジティブな一面もあって。だからこそ、ここまで生きてくることができているんだと思う。

父親は、私が14歳のときに死んだ。趣味でよく行っていた山から飛び降りたらしい。
反抗期かつ多感だった私にとっては、その出来事を上手く処理できず、父親が死んだのに涙を流すことはなかった。
父親が死んだことよりも、自分を責め、疲れ切った母親と過ごすことの方が辛かった。亡くなった知らせがあってから数日は、家族も集まって葬儀の手続きや、今後のことについて動いてくれていたが、それぞれの家庭を持っていた姉たちに紛れて、14歳の私はなにをすることもできず、自分の無力さに絶望していた。
「お父さんが帰ってこないの」と泣いている母に対して「大丈夫、帰ってくるから」と、なんの根拠もないのに無責任な言葉で慰めてしまっていた自分を恨んだ。このまま、母親も飛び降りてしまうんじゃないかという剣幕だった母に、姉妹で交代で側にいるようにした。姉の指示に従って、行動することしかできなかった。

数年経ってもやるせなさが残った。と、同時に、大切な人を失う辛さをじわりと味わっていた。それは、時間が経てば経つほど、わたしの心をチクチクと蝕んでいくようになった。
昨日まで一緒にいた人が突然この世から去る。生きている限り起こり得ることだが、大人になればなるほど、人の死が受け入れられなくなり、怖くなっていった。
仲が良かった友達とも疎遠になり、連絡を取ることもやめた。必要以上にコミュニティを増やすこともやめて、用事がなければ家に引きこもる。誰かと会う時も、自分にとって「大切」な存在とはなり得ない、その限りの人か、身体だけ繋がる相手だけ。連絡がなくなっても、まあ仕方がないか、と割り切れる人だけ。
だって、こわいから。失うのが怖かった。
それからのスケジュールは、暇つぶしのために適当に遊ぶ人との予定で埋めた。ネタにできるようなセックスを提供してくれる相手ばかりとの予定が詰まっていた。


高校を卒業する直前、バイトの帰りの夜道で男に襲われた。冬の、路地裏。冷たい雪に触れて冷える身体としんどい心。心配させたくない気持ちでそのまま帰宅し、すぐに寝た。ベッドの中で涙が止まらず、熱が出た。だけど母親には話したくない。自分の身に起こったことを受け入れられなくてただただ寝るしかなかった。トイレに立ったとき、ストレスのあまり家で倒れ、そのまま半年分の記憶が飛んだらしく、気付いたら入院していた。記憶障害を起こした身体は、下半身の機能を一時停止した。そこから半年間、車椅子での生活となった。しばらく人間不信になり、心配してお見舞いに来てくれた担任の先生のことも怖くて、大嫌いになった。

姉のススメで、車椅子のまま上京した。家族から援助を受けながら、嫌な思い出ばかりが残ってしまった故郷を捨てて、新しい環境に身を置くことに決めた。東京に出てきて出会った人とは自然に馴染むことができて、みるみる身体は快方に向かった。歩いていなかった期間分の筋肉が落ちた足は細くなってしまったが、活動できることが嬉しくて、東京のあちこちに行ってまわってバイトもできるようになった。

男性不信を拭うように、風俗で働いた。なぜか、それで心が満たされた。作り上げたキャラクターでも、愛してくれる人が、わざわざ会いに来てくれることが嬉しかった。平日しか出勤していないのに、多くの人が指名してくれて、忙しく稼働してる日々が、わたしの寂しさを埋めた。地元に帰るのが怖くて、東京で働くためにお金が必要で始めた風俗が、私を救ってくれた。仕事や家の都合を縫って、30分でも、と会いにいろんな人が来てくれる。性的行為なしで帰っていく人もいる。ただ、「存在してていい」と、たくさんの人に求められて証明された気がして、生きることを決めた。性産業に関わって、生かされた。それは、その後の人生にも影響していった。


父親が自殺して、レイプ被害を受けて、大好きだった地元が嫌いになった。根本的な人間不信は消えず、大切な人は死ぬと信じて疑わなかった。
少しずつ積まれていった負の感情が、年齢と共に厚みを増していく。考える余地がある夜は心を病むから、東京に来てから一人で寝た日は数えるほどしかない。
嫌な記憶が消えることはなく、むしろ自分を蝕んでいく気すらする。

「強くなりたい」と何度も願った。そのたびに苦しくて悔しくて泣いた。自分の不甲斐なさも弱さも、受け入れることができなかった。

本当の自分の感情を押し殺して、別のキャラクターを演じることの方が、生きるのが楽になった。
環境に置かれた自分に、それぞれキャラクターを落とし込んで、求められる自分を作り上げた。職場では、最年少の明るくて少しバカな可愛げのあるキャラクター。おじさんと遊ぶときは、年齢の割に落ち着いた、仕事の話も聞けて色んなことに興味を示す女の子。家族の前ではなるべく明るく穏やかに。
自分の中で創り上げた自分でいる方が楽だ。求められていることに対して応えるだけ。気付けば本当の自分がどれなのか、どれでもないのか、そんなこともわからくなっていた。

だから、「素直でいい」「そのままでいい」と言われて、ひどく戸惑った。
「全部わたしだけど、どれがわたしかわからない」「"素直"でいるわたしの感情ってどこにあるんだろう」「ていうか、”そのまま”ってなに?わたしの本来の性格ってどれ?」と、グルグル頭の中が回った。自分を守るためにいくつも作ったバリアが、今自分自身を邪魔している。じゃあ今までの自分がやってきたことは間違っていたのか、求められてきていた自分はなんだったのか。
過去のたった二つの強烈なトラウマが、私の人生・性格に大きな影響を及ぼして、それに打ち勝とうと行ってきた全てのものが否定された気分で。(相手にとっては、私を否定したつもりではないのはわかっているんだけども)

いつしか自分で自分に「呪い」を掛けて、鍵をして、ただひたすら飲み込んでいくようになった。


不幸体質

幸せはいつか終わる。だったら初めから多少不幸な方がいい。
幸せな状態から不幸になるのは落差がひどくて落ち込むけど、不幸な状態から不幸になるのは現状維持で済むから。
大切なものができても、どうせいなくなる。だったら大切なものなんて手に入れないほうがいい。
失うのが怖かった。
誰にも、何にも期待せずに、流れに身を任せていく方がいい。
嫌なことがあっても、諦めるしかない。立ち向かったりしない。
それが自分にとって一番楽だから。ぐちゃぐちゃの頭の中で、「もっといい方向に」なんて考える余裕なんて生まれなかった。
求められるままに応じるだけ。家族を悲しませたくないから死なないだけ。理性は保ちながら、それでいて冷めた気持ちで、生命活動を続けていた。

ちょっとしたタイミングで、楽しいことはあった。
たまに連絡を取って友達と飲みに行くとか、男をひっかけて遊ぶとか、ゲームをするとか、旅行に行くとか、SNSでちやほやされるとか。そういう暇つぶしを生み出して、吸収して、生きていくことはできていた。失っても困らない程度の小さな喜びを糧に、「どうせいつかなくなるだろう」とは思いながらも、その瞬間だけは楽しむ努力をしていた。


幸せになりたい

自分の不幸体質を、これまで辛いとも思ったことはなかった。なんとなく息苦しくて、泣きたいこともあるけど、むしろ不幸なままでいたい、とすら思っていた。それが心地よかった。溺れて、息をすることもできなくなっちゃいたいな、とか、お父さんみたいに高いところから落ちちゃおうかな、でも高いところ嫌いだしな、じゃあいっぱい薬飲んで眠ってそのまま死んじゃいたいな、とか、自分が死ぬルートをいつも考えていた。どうせ死ぬなら、結婚式みたいな、自分が幸せだと思える瞬間のピークに死んじゃいたいな、なんて、夢見たこともあった。それが当たり前だった。

なのに、彼氏に出会ってから、人生をひっくり返すような感情が初めて生まれた。

「幸せになりたい。」

自分の感情に驚いた。そんなことを思う日がくるなんて。不幸でいたいとすら思っていたのに、自分が、幸せになることを望んでいる。しかも、彼氏と一緒に幸せになりたいなんて。そんな夢が、ポツンと浮かび上がってきた。混乱した。
ずっと、なるべく早く死にたいと思っていたのに、彼氏との未来を想像している自分がいる。結婚して、家を建てて、犬と猫を飼って、もしかしたら子供もできるかも…でも二人のラブラブな時間も欲しいからゆっくりでもいいかな、なんて、そんな夢ができた。これまでぎゅうぎゅうに縛り付けられてきた呪いが、急にほどけて、後ろばかり振り返っていたのに、なぜか今は前を向いている。
「この人は死なない」なぜかそう思える。
「愛してる」という言葉を信用できる。
魔法をかけられたみたいに、心が温かくなって、あぁ、わたしって、この人と出会うためにこれまで生きてきたのかなぁなんて、そう思ってしまうほどに、短い期間で何度も救われた。たえず気持ちを伝えてくれて、眠っていた私の感情を掬い上げてくれて、輪郭がぼんやりしていたはずの人生をはっきりとさせてくれた。


「君のことをまだ全て理解できてなくてごめん」
「これからもっと勉強していくから」
と、彼が言う。そんな言葉、かけられたことがなかった。ずっと、自分が悪くて、自分のせいで泣いて、自分が我慢すればいいと思っていた。
わたしのことをわたしよりも理解して受け入れ、改善して、一緒に同じ目標に向かってくれようとする彼の心に、驚きながらも嬉しくて、

まだまだ、自分のことは嫌いなままだ。弱くて脆くて受け入れられない。
強くなると決めたあの日から、わたしは変われていないかもしれない。
でも、彼のことは迷いなく、「愛してる」と言える。だから、まずは彼のことを愛して、人を愛することができる自分を認めていきたい。
依存じゃなくて、でも心のよりどころとして、気は使っても遠慮はせずに、頼っていきながら、わたしも彼を支えていきたい。

いま、幸せで、これから、もっと幸せになるために。



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