感情は外に出して眺めてみよう
以前、Twitterをやっていた。僕は特に悪意もなく、ただ自分の今抱えている辛さを書き出し、整理するために使っていた。
どうもそれが会社にとって悪影響を及ぼすものである。と判断され、大勢の会議の場で『あのツイートはなんなのか』といった追求を受けた。
それ以後というもの、僕はすっかりTwitter恐怖症になってしまった。当時、仕事で不全感を抱えており、『不全感があって辛い』といった内容をTweetしたことを覚えている。
Twitterをやめてしまうと、自分の感情を外に出して眺めたり、考える場所がなくなってしまい、より心の内に感情を溜め込むようになった。
しかし、自分のこの感情をアウトプットしていきたい、表現していきたい。という欲求は溜め込むことに比例して増幅していった。
そんなときに、久しぶりにnoteでも書こう。匿名で、会社には知られぬかたちでと思い至った。
noteは不思議なもので、ネガティブなものでも柔らかく包み込んでくれる世界感を持っている。それは、日々のサービス改善もしかりだが、運営スタッフの皆さまが共通のビジョンをもって業務にあたられているからだろう。
こういった『ブログ的』サービスはたくさん存在するし、形式だけをまねたサービスを作り出すことは簡単であろう。
しかし、同じようにアイコン、機能をつけたとしても、「WHY?」が無い。そういったサービスに世界感は宿らない。「徹底してWHY?」を考え抜いた結果、細部に世界観はやどり始め、やがて統合されていくのだ。
そんな世界で、僕の感情をやさしく包んでくれるnoteが僕は好きだ。まだまだこれからも自分のペースで感情を言語化し、眺め、自己理解を深めていきたい。
note、ありがとう。
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