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言葉と態度

言葉を扱うのが巧みで、耳障りの良い文章、まるで理想の世界を想起させる物語を記述することが上手な人がいる。自分の苦しみや怒りの代弁者になってくれる人もいる。

それらに触れ、癒やされたり、怒りが増長したり、はたと自分の気持を改めて知覚したり、言葉というツールは物事を整理してわかりやすく伝える以上に、上手下手に関わらず人の心を揺さぶる。

言葉足らず、という言葉があるように『言葉だけでは伝えきれない、伝わらないコト』の方が多い。別に、言語化する行為やそのスキルを高めることを否定しているわけではない。『それ以外もある』ということを言いたいのだ。

知行合一(ちごうごういつ)という言葉がある。知るだけではなくそれを実行しないと身につかない、という意味だ。仕事でも同じだろう。インプットだけしていても身につかない、アウトプットが無いと。

言行一致(げんごういっち)という言葉がある。言っている事とやっていることが一致しているか、という意味だ。この『行』の部分には『態度』も含まれているのだと思う。

例えば、『やさしくありたい』と『言』葉にのせ、『行』動(態度)で示す。その行動(態度)は一致しているのか?

言葉では『気にしてないよ』と良いながら、明らかに攻撃的な視線や声色だったり、明らかに責めるような口調だったりしないだろうか。

人はコミュニケーションにおいて約8割を『非言語(声色、視線、話すテンポ、スピードなど)』から得ている。そして、言語情報と非言語情報が不一致するとき、いわれのない不安や恐怖心を相手に与えることになる。

『顔は笑ってるけど目は笑ってなくて怖い。何考えている人なのかわからない』

なんて言葉は、小説でもよく目にするし、実際に知人から聞くこともある。僕も『顔は笑っているけど目は笑ってない』人と対峙したら、何を考えているのかわからないし、なんて話して良いかわからなくなるもの。

だから、僕自信は言葉にすることと態度が一致しないだろうことは、なるべく外に出さないようにしている。なんで『不一致が起こるのだろうか?』ということを考えて、一致させられそうならそうするに、無理そうなら『非言語情報』に目を向けて何に引っかかっているのかを『言語化』しようとする。

言語化が長けている人は、非言語情報を無意識的に『甘くみている』節があるし、周囲の人は『滲み出る不一致感』をまざまざと感じているということは多い。

言葉以上に、非言語情報が相手に与える影響は計り知れない。言葉を粗末にする、非言語情報のほうがヒエラルキーが上だ、なんてことを言いたいわけじゃない。

言葉の裏に隠れた『言葉』をしっかりと見つめて、仲良くすることが大事なんだ、ということを言いたい。

自分の言葉と態度、相手の言葉と態度。一致していますか?それとも、何か隠れていますか?隠していませんか?


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