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諦めることが必要なのかもしれない

朝起きて、頓服薬を飲んで、今日は割と良い感じに過ごせそうだな〜と思っていたものの、実際は始業4時間経過して抑うつが高まり、ままならないな〜と落ち込んでいる。

あれもこれもしてみたいと、欲求ばかりは募るものの、多すぎて過剰積載状態になっているのかもしれないなと、最近考えていて、『諦める(諦めたい)』ことをやっていく必要があるのかなと思い始めた。

1つは、病気を「寛解」させること。もうそろそろ病気になってから10年選手で、初期は「寛解させるぞ」と意欲もあったのだが、闘うのがちょっと疲れている。頓服薬を飲んでも4時間程度で心身共に疲れ切ってしまうし、外出するにしても2時間が限度だ。

僕は既婚者なんだけれど、もっと妻と一緒にどこかに行きたいな、なんて思うんだけど、僕が疲れやすいから、妻は「デートしたい」気持ちを長年我慢しては、「一緒にいれるだけで幸せだから」と言ってくれる。

これはとてもありがたいことなんだけど、一方で、自分の情けなさが薄皮のように堆積していって、ことあるごとに「ごめんね」って言っては、「ありがとう」と言って、細い糸で一緒に「家族」という織物を編んでいる。もちろん妻は謝ってほしいと思っていなくって、僕が自責の念から勝手に凹んでいるだけだが。

そんな妻がいる限り、まあ朝令暮改なんだけど「寛解」を「諦められない」んだけれど、1人だったらとっくに諦めてるんだろうな〜と思っては、妻の存在の偉大さに、頭があがらない日々である。

2つ目は「収入」。前述したとおり、1日4時間程度しか働けない状態で、どうやって「生きていけるに必要な収入」を得られるのだろうか。と毎日考えては不安になる。今回の休職で思い知ったのは、僕が休職する分にはまだ妻は元気出し共働きで少なからず収入があるから生きていられるものの、仮に妻が倒れてしまったら、立ち行かなくなるのでは。ということだ。

このままの状態では、そういった事態に耐えられない。そしてそれは望んでいない。ゆえに、本来はなんとか収入を増やす方法を考え実行していくことが求められるんだけど、そのパワーが今は無いから尚の事困ったなという状態である。

これもまあ、朝令暮改なんだけど、収入源を増やす、収入源を変える、ことが必要なのかもしれないなと思う。ありがたくも、デザインで個人的に依頼してくれる方もいるし、そういった副業も積極的に受けていかないと、万が一に耐えきれないなって。あと、1日500円生活をここ数年続けているけど、ちょっと精神的にツライなって(まあ、これは病気関係ないんだけども)。

なんか、2つの事についてだけ書いちゃったけど、結局諦められない、ということなんだろうなあ。

病気を抱えながらも、十分な収入、健やかな人生を送りたいんだろうな〜という独り言でした。ちゃんちゃん。


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