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ちゃんと「悲しむ」ことを忘れない日々を

僕は犯罪心理学を扱う海外ドラマ『クリミナル・マインド』がとても好きだ。犯罪心理学を用い、シリアルキラーを逮捕するというシンプルな構造なのだが、扱っているテーマはとても深い。

そこには、人間の複雑さが描かれている。

シリアルキラーは、"大きなストレス要因"が引き金となるり、シリアルキラー化してしまう。
それは『大切な人の死』や『離婚』『虐待』など、人として避けられないものから社会が生み出した不幸やら、多くのものが含まれる。

そして、登場するFBIのメンバーにもそれは訪れる。主人公のアーロン・ホッジナーはシリアルキラーに妻を殺され、IQ200の天才であるスペンサー・リードは初めて心から分かり会えた恋人を眼の前で殺されてしまう。

これだけ書くと、なんて鬱々としたドラマなんだと思うかもしれないが、そこにはとても暖かで優しい人間模様が描かれているのだ。

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恋人が目の前で殺されてしまった、スペンサーは、FBI行動分析課を創設したベテラン分析官であるデヴィッド・ロッシに声をかけられる。

リード、大丈夫か。あまり無理するな

それに対して、スペンサーはこう答える。

悲しみと言うのは脳の○○という部位が反応し、☓☓という物質が分泌されて起こっている現象だから〜云々

途中で、それをロッシは遮る。これがとても印象的なセリフだった。

リード、そうじゃない。考えるな、感じるんだ。お前は今『悲しい』んだ。だから、ちゃんと『悲しめ』。人間にはそれが必要なんだ。身体で感じるんだ。※うる覚え

言われて、リードは泣いた。

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クリミナル・マインドのみならず、海外のドラマでは『悲しい出来事』が起こると、当事者だけではなく、周囲も『ちゃんと悲しめ』『悲しむ時間をとれ』『悲しむ時間をちょうだい』『カウンセリングで話してみろ』と、『悲しむ』ことを人間にとって、とても大事なこととして扱っている。

忙しない毎日、前進しなければならない競争社会において、一旦足を止めて『悲しむ』ことを選択するのは、とても難しい。仕事をすれば気が紛れるかもしれないが、しっかりと『悲しみ』と対峙し心を整理しなかった場合、あとからそれは襲ってくる。思ってもみなかった形に変わって。

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そんな個人的な危惧を、代弁してくれるような記事があった。5年ほど前のWIREDの記事だ。そこから、一部を抜粋させていただく。

人から「悲しみ」が失われている:デトロイトの人工知能学者が唱える仮説

「本来、悲しみの感情は、社会的倫理観、すなわち自分や他者の行動に対する正義感、罪悪感といったより複雑な感情を形づくるベースとなっています。近年、ソーシャルネットワークでの活動において、人は、本当の自分ではなく、さまざまな自分に擬態してコミュニケーションをおこなっています。それが脳に与える影響は、わたしたちが想像している以上に大きいと言えるのかもしれません。こうした環境に慣れてしまうことで脳が感情の捏造を繰り返し、そのことで、本来の感情野が退化しはじめているということがおこっているのかもしれません。自分をよく見せようという意識が、感情の捏造に留まらず、モラルやマナーの低下を引き起こすのではないか、とわたしは危惧しています」

『悲しみ』というのは普段の生活で身につけている鎧を脱ぎ去り、本来の自分から出てくるもので、『鎧をつける対象』ではないのだ。いつもは会社員として、経営者として、カウンセラーとして、人それぞれ『鎧をまとって』生きている。

『悲しみ』はそれらを超えて『自分を知り、自分を感じる』ことの大切さを教えてくれるものだ。

だから、無理に乗り越える必要なんて、僕は無いのだと思う。

もし、今『悲しい』という気持ちを論理的に整理したり、無理に乗り越えようとしている人がいるのなら、一言贈りたい。

『ちゃんと悲しもう』

#悲しみ #雑記

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