『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』―第1章.10

そんな中でも私は、自分のその後の人生に大きく影響する友人と出会います。
鬱だの自己表現だのといったキーワードをネットで検索をかけて、たまたま偶然、出会った人がいました。彼は、ネット上でのハンドルネームを「ミヤ」と名乗っていたので、ここでもそう呼ぶことにします。ミヤは性自認は男性の、ゲイの青年でした。ネット上で、“絵描きのメンヘラ”として、ホームページを公開していました。たまたま2人とも、絵や芸術が好きで、たまたま好きな音楽のジャンルが似ていたので、確か、私から彼にメッセージを送って、仲良くなったのでした。
彼は確か、私よりも2つ歳上で、当時は九州に住んでいました。なので、はじめに書きますが、私とミヤはリアルの世界では、全く一度も会わなかった、会えなかったのです。アートが好きで、ゲイだからかいろんなセクシュアリティの話に詳しく、精神的に病んでいてメンヘラにも詳しかった。そんなミヤとメールでやり取りするのが、私はとても新鮮で楽しく、また落ち着ける存在だと感じました。そんなミヤから私は、様々なことを、価値観や感性を教わりました。今でも特に感謝しているのは、今の私が好きな音楽やアーティスト、小説の好みなどを教わったのはミヤだったということと、それがミヤで本当に良かったということです。
今でも大好きなアーティストである「Syrup16g」をはじめ、「NIRVANA 」「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「THE BACK HORN」「凛として時雨」「Cocco」「鬼束ちひろ」など、テレビにはあまり出演しないけど音楽シーンの先頭をきって走っていた”バンドマン”、そして”鬱ロック”にどっぷりハマったのは、ミヤが勧めてくれて、CD-Rに音源を焼いて、手紙と一緒に私の家に送ってくれたのがきっかけでした。ミヤの感性が私にたまたまマッチしたのか、ミヤが私に合わせて感性のセレクトをしていてくれたのか、なんだかわからないけれど、私達は一時期、共鳴しあっていました。

そんな中でも、私は日常のネガティブに度々流されては、ミヤに伝えました。はじめて”自殺未遂”をした時も…。
ある日、私は母と当時の生活のストレスから、口論になりました。きっかけの文脈は覚えていませんが、私はとうとう母に、
「もうこんな生活嫌だ、死んでしまいたい!」
と泣き叫んだのです。すると母も、売り言葉に買い言葉だったのでしょうが、実の娘の私の感情の吐露に、勢いで、
「お母さんのほうが死にたいわ!あんたが死んでもお母さんのせいじゃない、死ぬなら勝手に死ね!」
と怒鳴ってきたのです。

私の頭の中で、実現し得なかった計画を実行に移す引き金を引くのには、充分なショックでした。
私はそのまま泣きながら二階の真っ暗な自室に駆け上がり、扉をわざと音を大きく立てて閉めました。そうして、ああ、死んでやろう、死ぬしかない…と、退学した高校の制服のスカーフをカーテンレールに輪になるように縛りつけ、躊躇いもなく、そこに首を通し、足を浮かせて、全体重を首にかけました。しばらく首に激痛が襲い、息が苦しくなってきたあたりで、スカーフが解けて、ベッドに崩れ落ちました。これが、私のはじめての”自殺未遂”でした。16歳の晩夏でした。その後しばらく朦朧としてベッドに倒れていましたが、次に気付いた時には、中学生の時に父に買って貰った彫刻刀で、手首に傷をつけているところでした。傷は浅かったものの、何度も切りつけましたから、それが意図的になされた傷だと、誰でも気付きそうな具合でした。赤い血がぷつぷつと、傷口から溢れてきていました。真っ赤な線が、手首に何本も。これが、私のはじめての”自傷行為”―リストカットでした。自殺もリストカットも、ネットでしか知り得なかった知識でしたが、私もとうとうここにきて、実行してしまったのです。
やっと正気に戻った時、寄る辺はミヤしかいませんでした。はじめてを経験してしまった、やってしまったと、ミヤにメールしました。返事はすぐに返ってきました。とにかく最初は慰めてくれたのと、手当てするように、とメールで伝えてくれました。その後、泣きじゃくってから、もう少し冷静になったところで、ミヤから、
「自殺やリストカットは安易にするものじゃない。どうして先に連絡してくれなかったの?」というメールが届きました。ミヤは私を気遣うこともしてくれましたが、警告もしてくれました。自殺する前に連絡してほしかった、とミヤは言ってくれました。このことは、―16歳で自殺未遂したことは―両親には大人になるまで、カミングアウト出来ませんでした。なのであの時、唯一打ち明けられたのは、ミヤだけでした。けれども、そんな優しいミヤが居ても、その後もリストカットすることは増え、首吊りも、17歳の
夏と、18歳になったばかりの頃と、続けて3回、行っていました。その度私はミヤに助けを呼び、連絡が返ってくる前に首を吊り、失敗しては代わりに手首を傷つけ、泣き続けました。そしてミヤにその度、気遣いと心配をかけてしまいました。あの時は、ミヤには本当に申し訳がなかったと反省しています。また、ミヤが居てくれたから、自殺未遂をしても、それ以上家で暴れたりとか、家族や他人に暴力的になったりもしませんでした。そのことは本当に、助けになっていました。

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