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ヒグラシ文庫8周年トーク・イベント(4)「飲食店ラプソディ~何の飲食店哲学の欠片もなく」

2019年3月13日(土)鎌倉の「まちの社員食堂」(神奈川県鎌倉市御成町11-12)で開催されたトーク・イベントの内容をお届けします。
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餃子の皮というコンプライアンスに包んじゃえば、お店の体裁に落とし込める

― 資料の2枚目に、「場所と料理や食事をめぐって」とあります。つまるところ、焦点は場所と食べ物になるんですが、それについてはまったくそれぞれ、違ってるものの、やっぱり共通してる部分もある。わりと共通してるのは、お客ほったらかしっていうか。

いわゆるビジネス化したところではたとえば私なんかいつも窮屈というか、めんどくせえなあと思うのはだいたい、7、8割くらいビールをあけると、「おかわりどうですか?」なんて、ありますよね。そういうのとか、全部食べ物がなくなっちゃうと「お勘定ですか?」みたいな。つまり、そういうのと対極にある。ほったらかしってそういう意味なんですけど。

もともと私が好きな大衆食堂ってのは、もう客はほったらかしってゆう場の空気があって。「場」っていうのはお客さんたち同士が勝手に作ってく。もちろんそれをコントロールしてる店主がほんとはちゃんといるんだけど、まあ客たちが自分たちでやってんなと錯覚を覚えるという、そういう空間である。じゃあ料理はどうでもいいかっていうと、わりとそうでもなくて。逆にいうとその料理そのものが、さっき言った自由な雰囲気というか、解放的というか。

それは悪いという意味じゃなくて、何かに集約されてく、集中されてく。型にはまってくのまったく逆で、慣れるために気分よく開放されていってしまう。という料理の方向性とかいろいろあると思うんですがね。そのへんについて、この、わけのわからない、一言でいえない、「按田餃子」とかいって餃子の店かと思っていったみると全然ちがう(笑)、そういうものが生まれてきちゃうあたりから。

按田:なので、「餃子」っていうことだけが、私とお客様との唯一の接点で、餃子っていうものに落とし込まないと、すごく謎の料理になっちゃう。名前もないし、何料理かよくわかんないし、そうするとやっぱりすごく怖い、みたいになっちゃうので、餃子の皮というコンプライアンスに包んじゃえばいいやという、まあお店としては体裁ですね。お店なので餃子というのをメインの商材に立ててというのは、タテマエなんですよ。

私自身は厨房の中のオペレーションは自分の経験上一番合理的だなと思うやり方でやっていて。それは、自分の家でつくってる、自炊のやり方を、いかにお店のオペレーションに落とし込むか、みたいなことです。たとえば、餃子の具にいれる野菜を塩もみします、と。その塩もみから、酢と砂糖をいれたら甘酢漬けになります、とか。餃子の塩もみをいっぱいやりすぎちゃって、発酵して漬物になってしまって餃子には使えないとかあった時には受け皿を作っておくんですよ。そこからは、ちょっと塩水漬けっていう乳酸発酵にもっていって、山椒とかいれたらまた別のものになっていく…そういうふうにセーフティネットを作りながら、漬物ってものをひとつの軸にして何種類に展開できるかという構造にしていて。

個性を出すというより、世界の同じ気候帯ではとか、人が脈々と続けてきた中で今、できるもの。

だから失敗じゃなくて違うものになっちゃった、というような感じにしていて。それは、料理ができるかできないかということはあまり関係なくて、そういう仕組みを覚えていったら料理人じゃなくてもできるなあと思って。自分はペルーにいきたいというのがあるから、働く人が、お客様というよりは働く人が、そこの按田餃子の厨房のしくみをおぼえてって自分の家に持ち帰って、さらにはそれを自分の子どもに教えられて、子どもが料理できるようになってというふうに、なんかはやく自立してってほしいのとか思ったり、そういうふうに使ってくれたらいいなあってところが軸になっていて。

そうなってくると、どこの地域のなんとかっていう料理を一生懸命再現しようとか、なんか他のお店にない、うちらしいカフェを出してやろうとかっていうことじゃなくて、もう少し、たとえば世界的にみて同じ気候帯のところはどういうことをやってるかとか。今まで人間が脈々と続けてきたことの流れを、空気を読んでというかね、そういう流れの中で今できること、代々木上原や二子玉川でできるもの、集まった人でできることっていうふうに消去法でやっていくと、今の形っていう今のところそんな感じ。

― なんか、整理されすぎちゃった(笑)

丸山:いやとっても参考になって(笑)。按田さんの本みて僕も真似してるんですけど、按田さんに任せてれば大丈夫だなって気がした。でも、いわれてることはそのとおりで、セーフティネットというか、失敗ではない。当然食べ物をなるだけ無駄のないようにしたいというのは、仕込んでたり買い物、野菜が安かったらついついいっぱい買ってしまったりとか。今なんか鳥取いくと地産地消の野菜が野菜がいっぱい売ってる、つい買っちゃうんですよ。こんなに安いって。そうするとどうしても余るので(笑)。あるいは多く作りすぎるので。

発酵って、普通はそれこそ賞味期限とか、発酵システムがわからないと食べてみようともしないんだけど、知ってると、これ食べられるんだってことがわかるので、最近特に、そういうのは今更ながらとりいれてます。それと餃子という形でお客さんとつながるというのでぼくも思い当たるのは、僕も今までそれこそ、こんな料理出してやろうとか、いろいろひねって出してましたけど、最近は逆に「オムライス」とか「カレー」「ハンバーグ」とか。店の名前より外に商品名、わかりやすいもの出しといたほうが、お客さんは、店の名前はどうでいいんだっていう。「ハンバーグ、カレー」でも中に入ってくるとうちの場合は中野オムライスって、どこに出しても中野ってつけて、実際は全然違うオムライスが出てくるんですけど。そういう形でまずお客さんに入ってもらおうということとか。

あと、僕大好きなフィリピンのアドボという料理がありますけど、それ美味しいんだけどなかなか、名前になじみがないので、お客さんが食いついてこない。アピールしきれなかったりするのでそれは「鶏の煮込み」とか名前を変えないといけないとか。料理とお客さんの関係ってそんなところで、出すときもつい「大丈夫ですか」って、聞いてしまう(笑)

― お客に味をきくのおかしいじゃないかって話ですけどね(笑)

丸山:「うまいと思いますけど、大丈夫ですか?」って聞いてしまいます、料理との関係性はそんな感じです。

鬼平犯科帳だと、慇懃無礼な軍鶏屋が実は殺人の仲介者とか、暗黒街の人ばっかり

― 中原さんは私からみると、正統派というか、保守的な料理というか。

中原:いやいや、全くそんなことなくて。さっきも少し話したんですけど、基本的なことって勉強したことないんです。ただ、「ふざけんなよ、オレだってできんだぞ」みたいなのはたまに出したい、みたいな。

― わはは。

中原:僕が週に何日か入ってた時は基本的には他の人は作らないもの、塩辛とか、三升漬っていう青唐辛子と醤油みたいな。

― わりとあるけど作らないっていうもの。

中原:そうそう。その三升漬にブリのさくを一晩つけといたら、それ切って青ネギ散らせばいいわけですよね。そういう、なんかこう、酒進んじゃうな、みたいなの。
やはり正統的なものっていうのは手間かかっちゃう。そうすると、そんなものやってらんねえ。昔というか、僕もいろんな飲み屋さん行って、「あ、これ美味いな」とか、「包丁が冴えてるな」とか、思ってたんですけど、このごろは、そんなものは要らないんですよ。ちょこっとなんか、馴染みのあるもの舐めてればよくて。

― それ、齢のせいじゃなくて?

中原:いや齢のせいですよ。だけど、すごい技をみせるぞみたいな、そういうお店は、なんかイヤだなと(笑)。本当はオレだってできんだぜ、みたいな気持ちに。

― ふふふふ。

中原:ですから、たとえば塩をまぶしたタンを一本ね、圧力釜にいれて、塩いっぱい、タンが見えなくなるくらい塩をかけて、つくると。で、タンは家で食うんだけど、料理にその塩を使う。「これ、どうやって作るんですか!?」「いや、それは言えません」みたいな。

一同:(笑)

中原:なんかね、ちょっと変わったことをね、でも何気なくやりたいと。ただ、そのちょっと料理とは関係ないんですけど、開店当初くらいの時、僕ひとりで忙しくて、つい、お金を受け取った手を洗わなかったんです。そしたらお客さんから「しょせん立ち飲み屋だな、こんなもんだ」と。だから、僕もふくめてスタッフには絶対洗えと。あの、忙しいときは洗ってないと悟られるなと。いうような、店をやってく上での狡猾な知恵みたいなのは少しずつ。

― 狡猾な知恵って面白いですね、お客とのだましあいというか、ある意味じゃ、なんだろう駆け引きというのかな。でも、さっきのはぐれものって、もともと個人の飲食店てのは、別にここにいる人たちだけじゃなくて業界団体てのがないんですよ。非常に面白いことに。だからいかなる会社とも取引、…材料の取引とかはあるかもしれないけど、まったくなくやれる。

たとえば、書店も個人営業でやってるわけですけど、だいたい整った流通と関係がある程度持つわけです。ところが飲食店の場合は近くのスーパーで仕入れてもいいし、まあどこで仕入れてもよくて、どうやったっていいわけです。かなりいい加減ていうか、まったく無関係に成り立っちゃう。
そういう意味ではあらゆる業界からまったく自由でだからそういう風来坊的な人たちがふらふらやってきて、こう、やってるところがありますよね。

中原:あのね、鬼平犯科帳とか読むと、どこどこの軍鶏屋とかは本職は香具師のボスとか、殺人を仲介する人とかなんですよ。なんか慇懃無礼にしてますけど実は、暗黒街の人ばっかりなんですよね(笑)。

あるいは、若いころ、ある料亭の息子が友達だったんですけど、飲み屋やりたいっていったら親が、「そのために大学出したんじゃない!」と。ロクなもんじゃないんですよ、だいたい。

お店をやりたいが為にお店をやるのではなく、自分の生き方を考えなおすためにその場所を使う

― 昔からそうなんだけど、昔というか、戦後大衆食堂はじめた人たちはまったく徒手空拳で、自分の親が作ってたものそのまま出すようなところからだいたいはじまってて。そのことってあまり変わってなくて。昔はそれをバカにする傾向があったけど、なんだか今ではすごいスターになったり、雑誌にとりあげられたり。
丸山さんも言ってたけど、以前は料理の本だすというとそこそこの修行した人とか、そこそこのおうちの。主婦が出す場合があっても普通のおうちじゃなくて。

丸山:時代的に僕がお店はじめたころはまだ、それこそ料理人というのが料理本を。今は本当にうちのスタッフだった枝元なほみとか高山なおみとかもそうなんですけど、ちょうどそういう時期に彼女たちはぶち当たってヒットしたわけですけど、それまではそういうカフェで働いてる人が料理の本を出すなんていうのは、業界的にまったく取り上げられない。
そこには男性の料理人というのがまずあったし、上野万梨子さんがまず戦後、料理人としてちょっと取り上げられたのが80年代ですね。

― そこからだいぶ変わりましたよね。

丸山:なので僕がはじめたころ、ただの個人店が雑誌に載るとかはなかった。そんなかで載ろう載ろうとしてたこと自体があれなんですけど(笑)

― そういう意味ではこれから、ある意味強力なヒエラルキーのタガがゆるんじゃったというか、まあそれだけじゃ成り立たなくなってきて、自由にやれる余地が増えたというか、増えたぶん、ああいいな、なんて憧れでやるととんでもない目にあったり。

丸山:だから飲食じゃなくてもいいですよ。これって最後にみなさんにお願いしたいと思ってたことのひとつですけど。僕いくつかのそういうスペースをやってて、はじめのうちはそれこそ「お店をやりたいのでシェアカフェに」って方多かったんですが、最近は、普通にお勤めしてるんだけど昼の休み30分しかないような仕事に疲れきっちゃったと。女性が多いんですが、ちょっと沖縄のゲストハウスに旅に行ったらこのお店のこと聞いて、そんな生き方もあるのかって帰ってきて覗いてみた。そしたらシェアできるんだって話をきいて、やってみようかなと。

そういう、今まで自分が思いもよらなかった、勤めてて自分の時間を切り詰めて生きるしかないと、そこで行き詰まってた人たちがそうじゃないんだと気がつく場になってて。そこで月1回カフェを出すようになって、あ、もう会社辞めちゃお、っていうきっかけになったりとか。だんだん時代ごとに、そういう人が増えてきた。

だからお店をやりたいが為にお店をやるんじゃなくて、今まででの自分の生き方を考えなおすためにその場所を使う。ただ、うちだけじゃなくてそういう店がたくさんできてるので、逆に僕がやってる場所がせっかく家賃払ってるのに埋まってないし(笑)。いっぱいあってもったいないので、今日の資料の中に入ってますけど、スケジュールみると何もはいってないカフェがたくさんある、みなさん、別に飲食やらなくてもそこで講座やるなりミーティングやるなりなんなり、相談していただければその場所が使えるのでぜひ、っていうのが一番僕の言いたいこと。もったいないんです、本当にプラスマイナスゼロでやってるスペースをいくつも持ってるという。

「丸山さんいくつも経営してすごいですね」ってよく言われるんですけど、いやいや、すごいわけじゃなくてやりだしたら辞められなくなって、もったいないから続けてるだけなんです。それを感じてくれて一生懸命ボランティアで助けてくれる方もいるんですけど、そんな場所をただただ、ヤクザにはじめてるだけで。別に闇の世界をしてるわけでもなんでも(笑)

― 普通の人にしたら今まで闇だったんだけど、まあ今はわりとおもてに出てきて。もうまとめみたいな話になってきた。だから最初に言ったようにインディペンデントなカルチャーというか、そういう中でそれぞれが生きてく方法がある、その中の今、飲食店部門という話だったんじゃないかと思うんです。もう時間なので、まとめはまったくいつもないんですけど、質問! 個人的なことでも何か。

続きはこちら。質疑応答タイム

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