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拝啓 馬場孝幸様

私はどこまでも私なので「この人のように成りたい」と思う事はないけれど、「この人のように在りたい」と憧れる事はあります。

2023年12月11日、恩師である馬場孝幸さんが亡くなりました。

訃報が届いてすぐ、Twitter(X)やfacebookでも触れましたが、改めてここに記しておきます。自分の言葉をまとめるのに時間がかかってしまい、あっという間に年が明けてしまいましたが、自分のタイミングで残しておくべきだと思ったので、今日のこの日に更新します。

2002年、高校2年生の夏休み明け、私はひとつめの高校を辞め、高卒資格を取るために通信制サポート校に編入しました。そのサポート校の音楽コース・シンガーソングライター専攻の講師が馬場さんでした。

勉学(当時の自分にとってはイコール人生)において、"高校中退"という生まれて初めての挫折を味わった直後の私は、分かりやすく外見に表出こそしないものの、それはそれはもう内面がジャックナイフの如く尖り切っていました。そうしてアコギを抱えて下手な弾き語りをする私に「うん、君はそのまんまでいいよ〜」と声をかけてくれたのが馬場さんでした。

そして卒業する頃に「売れないものはすぐ分かるけど、何が売れるかは分かんないんだよな。君はちょっと分からないから、続けなさいよ。」と言ってくれたのが馬場さんでした。ちょうど、音楽専門学校への進学が決まっていた時期。

2005年にオーナーを務めるライブハウス、Live Garage秋田犬がオープン。専門学生となっていた私は、ホームとして毎月のように……というか毎月何度も秋田犬のステージに立っていました。なんなら毎週ぐらいのペースだったかな。当時の年間ライブ本数は100本以上。ガラガラの客席に向けて歌った事も、一度や二度ではありません。

きちんと自分の力でお客さんが呼べるようになって、40人ほどの客席を満員に出来るようになってからも、幾度となく企画ライブやワンマンライブをさせてもらいました。立ち見のワンマンライブで60人ぐらいお客さんの入場があった日には「お前なにこんな呼んでんだよ!ふざけんなよ!」と、笑いながら怒っていた(けど実際は全然怒ってない)のが馬場さんです。秋田犬をパンパンにして馬場さんに怒られるのが、ひとつの恩返しだとも思っていました。

高校の講師、ライブハウスのオーナーとしてお世話になっただけでなく、馬場さんのレーベル、zarya recordsからCDもリリースしてもらいました。俗に言う、インディーズデビューです。まず5組のアーティストでオムニバスアルバムが1枚。それから、ソロでのミニアルバムが3枚。ミニアルバムは最初の1枚が馬場さんプロデュース、あとの2枚はなんの縛りもなく、とにかく自由に作らせてくれました。

今日のヘッダーの写真は、最初にリリースさせてもらったオムニバスアルバム。ジャケット写真とタイトルも任せて貰いました。私自身の収録曲は、今の自分で聴くに耐えないクオリティーだけれど、テイクそのものはお気に入りです。当時の荒削りで無骨なサマが、本当にそのまま詰まっています。

2012年の秋、音楽を辞めると決めてから、どうしても馬場さんにだけは「辞めます」と言えず、「お休みします」と伝えた事は、今でもハッキリと覚えています。2012年〜2013年にかけて、毎年恒例にしていた秋田犬カウントダウンライブの最中、定位置にしていたカウンターの中で、耳元でコッソリと。「そうかそうか。また演りたくなったらいつでも演ればいいんだから。」と、私の肩をポンポンと叩いたのが馬場さんでした。

それから10年。表舞台を降りた後ろめたさもあり、ずっと疎遠にしていました。闘病中である事も、その具合が思わしくない事も、風の噂では耳にしてはいましたが、前述した後ろめたさと日々の忙しさにもかまけて、会いに行く事を、顔を見せに行く事をしませんでした。私が音楽をやっていようがいまいが「なんだよお前!元気かよ〜!」と笑うのが馬場さんだっただろうに。

私が教え子としてあるまじき時間を過ごしていたこの10年で、新たに馬場さんと関わるようになった方はたくさんいらっしゃるかと思います。そして、10年前から変わらず、ずっと関わり続けてきた方々がたくさんいることも知っています。10年も疎遠にしてしまった私が、こうして馬場さんについて書き記す事は「何を今さら……」とも思えますが、これは私なりの弔辞です。私の音楽人生が馬場さんから始まった事は確実で、間違いないので。

それでも「馬場さんから何を教わったのか?」について、私は上手く言語化できません。きっと馬場さんの教え子・お弟子さんと呼べる人は、揃ってそんな感覚なんじゃないのかな、と思ったりします。何を教わって受け継いだのか、言葉では説明できないし、したくない。そんな恩師でした。

私自身は、ミュージシャンとして大きく売れる事もなければ、3枚目のミニアルバムの在庫も残したまま廃業し、結局なんにも返せないままでした。なので、返せなかった分は、次の世代に繋ぐ事にします。この先、私の寿命が来たとして、馬場さんへ恩を返せるタイミングがあったとしても、私の中の馬場さんは「なーに言ってんだよ〜」と笑うので。

ただただ、お世話になりました。本当にありがとうございました。

私はこれからも、憧れを追いかけていく事にします。

追伸:
命日は、奇しくも母の誕生日です。
少なくとも私にとっては、悲しみに明け暮れ過ぎる事がなく、なんだか馬場さんらしいな、と思っています。

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