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正解がある正解のないもの


高校の国語の教科書に載っていたある文章を、今でもよく覚えている。

「美しさ」は、草花や山といった対象にあるのではなく、それを「美しい」と感じる人間の心の方にあると言わなければならないのではないだろうか。

これは、高階秀爾の『美しさの発見』という評論に書かれていたことだが、つまり、"美"とはものの状態ではなくて私たちの心の中に存在するものだということだ。

私はこの文章を読んで感銘を覚えた。
確かに、美しさは私たちがそう認識するから美しさであって、人間らしさとか、可愛さ、かっこよさ、お洒落さ、その全てがそのようなものだと感じたからだ。

だからきっと、"愛"というのも私たちの中にしか存在しないものなのだと思う。

世間では、愛というものには決まった形があるように語られることが多い。特定の誰かに対する執着、自分のものにしたい思う欲求、全てを知りたいと思う傲慢。時折それは汚いものとしても描かれるし、その汚さこそが美しさなのだと説く人もいる。

だけどそもそも"愛"というのは私たちの中にしか存在しないのだから、全員に共通する決まった形があるはずがない。


私は、愛というのは執着と欲求を伴うものだと信じていた。物語の中ではそういうものとして扱われていたし、周り人の愛も似たようなものだったからだ。だから、人に執着も欲求も抱けない私には愛がないのだと思った。

元々人への興味は薄かった。だけど嫌悪しているわけではなかったし、上手い具合に馴れ合うのは得意だったから、問題はなかった。友人と駆け回る時間は純粋に面白いし、それ以外にやりたいこともなかった。

人に対する欲求も元々少ないのだと思う。「親に認められたい」と思うことも少なかったし、年頃になってから性的欲求も感じたこともない。思い返せば、恋愛感情らしきものを抱いた経験は、うんと小さい頃から辿っても思い出せない。

そこに、幼少期の経験で得た「愛も含めて、人は自分のためにしか生きられない」という教訓が加われば、そもそもどうして人と接しなければいけないのか疑問を持つほど、人に興味が持てなくなっていた。

だけど、私だって人に何も感じないわけではない。可哀想な人を見れば苦しく思うし、人といて楽しく感じることもある。だれかの幸せを願うこともあれば、その幸せのために自ら動くこともある。



この社会では、決まった模範の"愛"がある。
小さい頃からずっと、その"愛"からあぶれた感情は愛と呼ばないのだと思っていたから、私には愛がないのだと思った。だけど、”人を愛さない”と検索して出てくるのは人格障害かサイコパスだけで、惑った。

人を愛さない自分は人でなしなのか。物語の登場人物のように、執着しされて普通に幸せになることはできないのか。何度もなんども考えて、夜も眠れなくなった。

私は人を愛せないのだと諦めた頃、アメリカに飛んだ。

アメリカに飛んでからは諦め前提で人と接していたから、時折感じる寂しさのような感情以外は特に何も感じることはなかった。だけど、ふと思うことがあった。愛じゃないのならこの感情はなんなのだろう、と。

それはあの子が笑った時。大切にされていると感じた時。彼女が泣いている時。そんな時にポッと感じる、むず痒いような違和感だった。

相手の幸せを願うような感情。辛そうな人を見て湧き上がる感情。笑っているとつい嬉しくなるこの感情は、愛じゃないのなら一体なんなのだろう。

その感情は時折わたしの心を物哀しさと似た感触で擽ぐる。
もしかしたら、私のこれは哀しさなのかもしれない。だって泣きそうになる。辛い過去を思い出して、それが救われた時に泣きそうになるようなものなのかもしれない。

だけど、愛としか言いようがなかった。


愛について模索している時、人には"性的欲求を伴わない愛"というのも存在すると知った。私のそれはもっとずっと淡白なものかもしれないけれど、私が愛だと感じたら、それはきっともう愛でいいのだ。愛は、その人の中にしか存在しないのだから。

だから私はこの感情を、幼い頃から惑ってきた私のために"愛"と呼ぶことにした。
きっとこれでいい。これだけでよかった。
こんな簡単なことができるようになるまで、随分時間がかかった。



この社会にはいろいろな”正解”が存在する。
家族の正解。恋人の正解。生徒の正解。先生の正解。親の正解。本来正解なんて存在しないものに、人は正解をつけようとする。

正解がないものは不安定だから、正解を求めようとするのは人間の生存戦略なのかもしれないけど、それはきっと、ちょっとやさしくないなと感じることがある。

世の中には”正解”が溢れている。
たくさんのマガジンの特集もそうだし、テレビや新聞を騒がすニュースもそうだ。街を歩けば人は社会の正解にしたがって歩いているし、カフェに入れば今日も正解じゃなかったことへの批判が飛び交っている。

そもそも、何かを決めつけないと言葉だって使えない。りんごは小さくても大きくても色が違ってもりんごだし、人間はたくさんいるのにみんなまとめて人間だ。そんなんだから、「ロボットは人か」なんていう議論が出て来たりする。

だけど正解を求める行為は、時折いとも簡単に人を押しつぶす。
このやさしくないところが、今の社会をストレスフルな場所へと変えているものだとしたら、何とかしたいね。

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