見出し画像

言葉を編む


辞書を読むのが好きな子供だった。
小さい頃、家には幾つかの種類の辞書があって(漢和辞典、国語辞典、古語辞典、英語辞典など)、年季の入った辞書達がいつからあるのか、どこから来たのかわからなかったけれど、普段読んでいる本とは質の違う重厚感に浮き足立って、時間が空いた時は何気なく辞書を繰っていた。

知らない言葉が未だ世界に沢山存在していて、その一部に触れる時、私の世界まで一回り大きくなったような感覚がして、その感覚が心地よかった。

活字中毒の嫌いがある私は、バスや電車に乗っている時は常に文字を追っていないと気が落ち着かないから、図書館から借りてきた小説などを読み終わった後に、手持ち無沙汰で読んでいた部分もあるのだろう。


そんなことを思い出したのは、「舟を編む」という作品を見始めたからだ。
辞書を編纂するということ。辞書は言葉の海を渡るための舟だ、という言論は、言語学を通しての人類学を履修した私にとっては共感ができるものだ。

言葉は動く。変わる。人の営みと共に変容し、新しく生まれる。
言葉は一番頑固な文明の伝達者であって、口語から文語から言葉の発達をみることによって、当時の人の営みを描きだすことができる。

言葉は不思議だ。
本来意味もない記号が、私たちによって生み出され、それが相手に届くときに意味を持つ。
言葉を紡ぐことで私たちは愛を語り、集団を作り、明日の予定を立てる。
言葉とは人間性そのものなのだと思う。


言葉の不思議さは止まる事を知らない。
現実に存在していないような事も、言葉でなら語れる。
科学では描きだす事が出来ない人間性や世界の片側を、言葉は描きだす事ができる。

人は世界を記述するために言葉を生み出し、新しい用法を考える。宛ら言葉は、人が捉える世界真理の伴侶だ。
だからこそ、現代を生きる私たちが忘れてしまった心意気を、過去を人々と共に生きた言葉は抱え込んでいる。

そうして言葉を通して人の営みに触れるとき、言葉は人間を編んでいるのだという直感を思い出す事ができる。
だから私は、言葉を集める辞書が好きだ。

主に書籍代にさせてもらいます。 サポートの際、コメントにおすすめの書籍名をいただければ、優先して読みます。レビューが欲しければ、その旨も。 質問こちら↓ https://peing.net/ja/nedamoto?event=0