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逃げろ!!!

最近、「挑戦するには逃げ場をつくらなくてはいけない」ということを説く人が増えた。
それは挑戦を力強く推し続けたために気づいた教訓なのかもしれないし、怖がりが唱えるアンチテーゼかもしれない。
キャンプファイヤーの家入さんも「弱くても生きていける社会を」と言う。

実は、これは科学的にも正しい。

興奮と恐怖の違いについてはいくつかの研究がある。興奮と恐怖は同じホルモンの影響なのに、どうして受け取り方は違うのかというものだ。
これに関しては明確な答えは出ていない(少なくとも私は見つけていない)から、これから書くことは私の予測も含んだものになるのだけど、

鍵になるのは、「安全保障」があるかどうかだ

安全保障があれば、恐怖は楽しむことができる。これはホラー映画を見たり、スリリングなレジャーに行ったりするのと通じる現象だ。

反対に、失敗するかもしれないという予測ができるものを、人は避けるように出来ている。生物的に言うと"死"だ。
なにか、とんでもないことが起こるときには、人は正しく恐怖を感じる。

でもここで思い至る。
なぜ、挑戦できる人と、失敗を恐れる人がいるのか、と。
両者を分けるものはなんなのか、と。

挑戦できる人にはいくつかの理由がある。
それは、

一度挑戦して、成功したことがある
(若しくは、先人の成功体験に強い憧れを抱いている)

か、
失敗しても大丈夫だという安心感がある

ことだ。

難しい挑戦をして成功すると、人は多くの快楽を感じるように出来ている。
(正しく言うと、難しい挑戦の最中ほど脳が成功報酬に敏感になる)
脳は快楽を大きく記憶し、その快楽をもう一度求めるようになる。
パチンコにハマる人と同じ原理だ。

そうなると、たとえ失敗するとしても、その快楽を得るために挑戦するようになる。

もう一つは、先に出てきた「安全保障」だ。

人は「失敗したらどうしよう」「人が離れていくかもしれない」「迷惑をかける」などという恐怖に侵される。
実際に命を落とすような挑戦はほとんどないが、社会的な死を予測させる挑戦はたくさんある。だから、人は尻込みする。
(「死ぬこと以外はかすり傷」と言うけれど、かすり傷だって痛いし、偶に骨折になることもあるし、ほっといたら化膿するし、現状に満足してたらかすり傷だって作りたくない)

「安全保障」というものは、"失敗しても受け入れてくれる場所がある"、"どれだけ落ちても、側にいて助けてくれる人がいる"、という逃げ道と根底にある自尊心だ。

興奮や緊張はある一定のプラスの効果があると言われているけど、"死"の危険を察知して逃げたがっている脳では、パフォーマンスは落ちるだけだ。
大切なのは、どんな状態でも"死なない"こと。その保障が出来ていることだ。

だから、リバ邸などはとても良い取り組みだと思うし、もっと大きく言えば生活保護のシステムだって良い(まぁ、社会の圧力とかによって余り機能してないけど)。
これ書いた後に出てきたけど、escortとか最高だと思う。

私は、すべての人が挑戦するべきだ、とは思っていない。もし本当に全員が挑戦を始めたら、この社会は瓦解する。
だけれど、すべての人が挑戦できるべきだ、とは思う。

挑戦は何も、大きなことには限らない。
個人店を経営するのでもそうだし、学校や会社をやめるのだって挑戦だ。
挑戦とは、何か新しいことを始めること。
挑戦がない社会は停滞し、ゆっくりと縮小していく。今の日本や、かつてのヨーロッパ諸国のように。

日本のシステムは「1%の天才を生み出すシステム」と言われることがある。
そうだとすれば日本の社会は、「1%の天才が99%を引っ張っていく社会」と言える。

戦争時や高度経済成長期はそれでよかった。
99%が上の言うことを聞いて動く方が、早く時代を動かせる。
江戸時代なんかもそんな感じで、民衆はお上の言うことを聞いて動いていた。
(江戸時代は歴史上とても長い太平の時代だったので、平和のあり方としてはこれが正解なのかもしれないが)

民衆の目に"教育"や"秩序"で釘を刺し、盲目になった民衆の手を繋がせて歩かせていた。そして1%の盲目にならなかった天才が手を引くのだ。

しかし今の時代は、どうやらそれではダメらしい。
手を引く人間が社会を良い方向に動かすとは限らないからだ。
時代の流れを、少数の人間に任せるわけにはいかないと、人々が思い始めたのだ。

「人の上に国あり、国の下に人あり」と福沢諭吉は言った。
人が愚かなれば国も愚かになり、国が良くなれば人も良くなる。

集合知の価値が再確認されている中、1%の天才に頼るシステムは古くなったのだ。
もちろん、1%の天才は必要だろう。だけど彼らは時代を変えない。

時代の流れは人々が決める
天才は人々を動かすことで、時代の流れをコントロールする。

99%の人々が盲目であれば、時代の流れは少数の決定となる。だけど、99%がしっかりと見て自分の足で歩けば、時代は人々の総意になる。

それが良いのか悪いのか、私はわからない。
だけど今の時代はその方向へ進みつつある。

"良い"時代を作りたければ、まずは自分で歩く方法を見つけないと。

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