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Can we play a love song?


アメリカの多様性のクラスが、ユダヤ系アメリカ人の章に入った。
勿論、世界大戦の前からアメリカに移住してきた彼らの話をやるのだけど、矢張り第二次世界大戦のホロコースト中の話は強調されてクラスで話され、授業2回分を掛けてアメリカとナチズムについて話した。教授の家族がホロコーストの生き残りであったことも大きいのだろう。

この詳しい内容はまた後日纏めるとして、このような話を聞くとき、いつも頭に浮かんで消えない事がある。


私たちは、どうして痛みを感じるのだろう。


歴史には痛みが多い。特に多様性の授業なんかでは、終始痛みを感じ続けることになる。大量虐殺も弾圧も、人間の歴史とは切っても切り離せない。だけど、私たちは一体どこから痛みを感じているのだろう。
織田信長が寺を焼き払ったのも、フランス革命でマリーアントワネットが首を撥ねられたことも、それは痛みのはずだ。アメリカ独立戦争では米英合わせて五万人死んだ。もっと遡って、ローマ帝国の時代だって争いは起きていた。
チンパンジーだって女子供問わず虐殺をするし、ゴリラだってボス交代があったときは前のボスの子供を殺す。一体私たちはどこから、痛みを感じているのだろう。

私たちが今、こうした事実に胸を痛めるのは、この世界が平和を目的とし始めているからなのだと思う。全世界が全力で戦争をしたら、人間社会は滅亡するだろうし、戦争によって生まれるものは何もないと、世界大戦の後に私たちは漸く気がついた。

だから、人権の抑圧や差別など争いの種となるような事象には、共感性を使って痛みを感じるようになった。共感性の範囲が広がり、その範囲内であれば動物に対しても痛みを感じる。そうやって、私たちは社会を変えようとしている。

「やさしい革命」という言葉が囁かれるようになった。やさしい革命とは、痛みなく成される社会変革のことだ。
だけど人類史を見ていると、痛みを抜きにして成された改革というものはそうなかったように思う。誰かを糾弾し、血で血を洗い、そうして革命が成されてきた。
最近の社会変革は人が死ぬようなものは少ないけれど、それでも苦悩の共感は痛みだし、批判や糾弾だって痛みだ。

だから、思った。もしかしたら私たちは、痛みによってしか革命を起こせないのではないだろうか、と。


痛みは強い。恐怖は絶対的だ。反乱、ストライキ、革命は痛みへの反撃であり、痛みを受容しきれなくなって社会が変わるまでそれは続けられる。昨今の差別批判にも、似たようなものがあると感じている。

革命とは、沈滞してきた社会システムの腐敗を一掃する試みのことだ。
個人や集団がそれぞれの最適解を追求した結果、全体的な不利益が生まれてしまい、しかし中の人間にはその不利益を取り払うことができなくなってしまう。
暴力だって、核爆弾だってそうだ。それらは人間が生きる上で必ずしも必要ではないが、誰か一人が持った以上他の人間も所有しなければいけなくなり、所有と監視、またそれらが発揮された場合に生み得る不利益を看過しながら社会を回さなくてはいけない。
そういったものを、革命は一掃しようとする。


「やさしい革命」というものは、二進も三進も行かなくなった状況を、それでも痛みによる革命以外の力で好転させようとする試みのことなのだろう。

ガンディーの非暴力や、アメリカ、カリフォルニアで起こった葡萄ストライキのように、暴力を使わないようにするのが「やさしい」革命と言われるのかもしれない。

だけど、痛みとは暴力だけではない。

それには精神攻撃も含まれるし、葡萄ストライキを含むストライキは雇用側に財政面で痛みが出るはずだ。そういったものを全て排除して、本当に全く痛みのない「やさしい革命」は可能なのだろうか。

葡萄ストライキはあのような形でしか成し得なかっただろうし、変革の対象が強固で大きくなるにつれ、革命は烈しさを必要とするのではないだろうか。


イナゴが共食いによって軍隊を成し得るように、私たち人間は本来痛みによってしか革命を起こせないのかもしれない。
某有名な悲恋の劇の名前に因んだ恋愛における現象も、ストレスによって感情が盛り上がるようになっている。

革命と痛みは、切っても切り離せないのかも知れない。
痛みと共に社会変革を試み、殴り合いで解決をする。それは、もうこの世界に痛みが存在している以上、変えられない事なのかも知れない。


そんなことをずっと考えて、頭が痛くなった頃に、「本来痛みとはこういうものだったんだよなぁ」と感慨深く思うような日々を、最近はよく過ごしている。


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