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先生って言葉が嫌いな話

ねずピカです。
タイトルにある通り、先生って言葉が嫌いです。
ちなみにその次に嫌いな言葉は才能です。
じゃあ何故その言葉が嫌いなのか、つらつらと徒然なるままに書いていこうと思います。

1 塾講師時代

学生時代、1年半ちょっと塾講師をしてました。理由は家から近かったからという、すっごく単純な理由。そこで私は数学が苦手or看護・医療系の大学に進学予定の子たち向けの数学の授業を担当することになりました。
苦手な子向けに授業するって結構大変なんですが、伸び代はたくさんあるので、それなりにやりがいを持ってアルバイトをしてました。しかし、そんな中事件は講師の休憩室で発生しました。

理系の大学に進学する予定のAくんがいました。彼は「国語だ苦手だから」と何とも消極的な理由で理系に進んだらしいですが、高校1,2年生レベルの数学も怪しく、かなり厳しい状況でした。それでもなんとか現役で合格してほしいと私は四苦八苦しながら教え、個別の質問・相談も行なっておりました。ただ、なんとなく無気力っぽい表情だったので、そこら辺については心配してました。

その無気力っぽさが癪に触ったのでしょう。ある日、講師室で世界史を教えてる後輩の女性講師がこう言い放ちました。

あいつは一回浪人して、何がダメかをわからせたほうがいい

そして立て続けに、こう言いました。

だから最近、あいつの質問対応もちょっと適当にやってんすよw

耳を疑いました。まるで自分が神になったかの如く、生徒の生殺与奪の権を握ってるんだぞ、という発言。
確かに態度に難がある生徒がいるのも事実です。そうした場合やんわりと注意などすればいいものを、注意すらせず敢えて仕事の質を悪くして、被害を与えるというやり方。明らかに歪んでるなと感じました。
意識高い系中島という方のnoteにも似たようなお話があり、塾業界では避けて通れないお話なのかと思います。折角なので、引用します。

しかし彼のその発言には「自分の裁量次第で生徒の命運を左右できる」という自己陶酔を感じずにはいられなかった。
「自己陶酔」
あの塾に蔓延していた違和感の招待はこの4文字に集約される。あの場にいた多くのバイトが自己陶酔に陥っていた。自分たちが生徒の未来を握っているという自己陶酔が、彼らから感じ取れた。

意識高い系中島
「塾講師バイトに潜む自己陶酔の危険性」
https://note.com/nakajima_it/n/n12772d7c4582

塾で働いてた時は「先生」と呼ばれてました。もちろん他の人も同様。
先生って特別扱いされて自己陶酔したのでしょう。
「先生」って言葉はなんでもない人を崇めるだけで、あっという間に自己陶酔してしまい「俺は特別な存在だ!」と勘違いさせる言葉なんだなと思いました。
それ以来、私は「自分が神になったと勘違いさせる」先生って言葉が嫌いです。
もちろん尊敬の意を込めて呼ぶ人もいるでしょう。でも言われてる側はただ、いい気持ちになってるだけです。

2 政治界隈でも同じ

政治界隈でも同じです。政治家さんや特定の言論人に対して「先生」を呼ぶ人がいます。別に他人が呼ぶのは勝手なので、私は止めません。
でも言われた人はどうなってるでしょうか。

当選した瞬間、公約に掲げたものを引っ込める政治家。
過去の発言と矛盾し捻れてるにも関わらず、むちゃくちゃな言い訳をする言論人。

約束を守る。下手な言い訳をしない。これは子どもでも守ることです。
でもできない大人がいる。しかも気にするそぶりを見せない。
彼らも同じです。
「先生」って言葉で崇められて、あっという間に自己陶酔してしまい「俺は特別な存在だ!」と勘違いしてるだけです。

彼らを増長させないために、私は先生って言葉は使いません。

ダラダラ書いて満足したので今日はここまで。
では。


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