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批判について語ろうって話

ねずピカです。
今回は批判についてつらつら書いていこうと思います。

批判と非難の違い

日本語に限らず多くの言語で、似たような意味を持つ単語というものは存在します。批判と非難もその類かと思います。まずは批判と非難の辞書的な意味を調べて見ましょう。

批判

物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

デジタル大辞泉より
https://kotobank.jp/word/%E6%89%B9%E5%88%A4-612181

注目して欲しいのは2の意味で書かれてる、「人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」です。
とりあえず頭の片隅に置いて、次は非難について辞書的な意味を確認して見ましょう。

非難

人の欠点や過失などを取り上げて責めること。

デジタル大辞泉より
https://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E9%9B%A3-611914

もう少し砕けた言い方をすると、「あなたの欠点or過失に、私は怒ってます!」といった怒りの感情(やや怒鳴るに近いタイプ)に任せた行動が、これに当てはまります。

こうしてみると、結構違いますね。
正すべきであると論じるか責めるか、人の欠点や過失を指摘した後の行動が分かれ目です。

正すべき…?

先ほど、批判の意味で出てきた「人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」について、もう少し深掘りをしていきたいと思います。

この「正すべきであるとして論じる」のは結構なクセものです。
「正すべきであるとして論じる」ことを通り越して、「だから貴方の考え・行動を改めろ、然もなくば許さない」という姿勢になってしまうのがしばしばあるからです。

もちろん、政治家をはじめとする公的な立場にいる方に対しての批判は、上記のような強硬的な内容になってしまうときもあります。
しかし「然もなくば許さない」の気持ちが先行しすぎて、批判のつもりが非難になってしまう例もあります。

このような事態になる理由は、偏に勝手な正義感や義憤に駆られて行うことがほとんどです。

ではこの勝手な正義感や義憤に駆られてしまうことを防ぐにはどうすれば良いのでしょうか?それは後述することにして、もし何かを批判する際のポイントを記載していきたいと思います。

批判するときに押さえておきたいこと

①論破しない

「批判って『人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること』でしょ?それって論破じゃない?」と思ってるかもしれません。しかし、ここでの論破しないは余白を残す≒逃げ道を用意することです。

人にはいろんなタイプがいます。「クソったれ、俺を論破するつもりなのか!」とムキになるタイプもいれば、「はぁ〜(でかいため息)ウザいなあ」と拒絶しちゃう人もいれば、船越英一郎のサスペンスもので出てくる、崖に追い詰められて自暴自棄になる犯人みたいになっちゃう人もいます。

余計な争いの火種を産まないためにも、余白を残す≒逃げ道を用意するのは大事なことだと思います。

②挑発しない

これも余計な争いの火種を産まないために、必要なことだと思います。
では挑発に当たる行為とはなんでしょうか。

それはズバリ・・・・・・・・





人それぞれです!

言われてみればそうですよね。人によって感じ方はそれぞれですので。
人によっては批判そのものを挑発だと捉える人もいます。
「だったら批判できないじゃん」と思うかもしれませんが、挑発と取られるような紛らわしい行動をしないことはできます。
「疑わしきは罰せず」だなんて言葉がありますが、紛らわしい≒疑われるようなことはしないというのも大事です。
(もちろん刑事訴訟において、犯罪事実がはっきりと証明されないときは、被告人の利益になるように決定すべきであるという大原則は守られるべきだと思います。)

ex.皮肉を言おうとして滑る、斜に構えた態度を取る
→人によってはバカにされたと感じてしまい、余計な火種を生むだけです。素直さが大事。

③横着をしない

一番大事なことが、この横着をしないことです。
では横着な批判とはなんでしょうか。

批判する際、要素として以下の内容が必要だと思います。

  1. 批判対象となる相手の主張の欠点や誤りの内容

  2. それがどうして欠点・誤りであると考えるのか

  3. なぜその欠点・誤りを正すべきと考えるのか

  4. 正すべき方向の内容は一体なんなのか

Twitterなんかでよく見ますが、ものを申す時はだいたい1の「批判対象となる相手の主張の欠点や誤りの内容」を大々的にクローズアップしてるのがほとんどです。

1~4を全て網羅しようとすると、TwitterなどのSNSは不十分です。
noteやブログなど文章をかくメディア・ツールが一番適してるのに、なぜかやりません。そういう意味で、横着しすぎです。

なぜ横着をしてしまうのか

先ほど述べた批判の要素としてあげた1~4を満たそうとすると、Twitterなどの短文形式のSNSは全くの不向きです。noteやブログなどの思いっきり文章をかけるメディア・ツールが適してると、先ほど述べました。
ですが、現実ではnoteやブログなどで批判を行わず、Twitterなどで横着するように批判を行います。

偏に、「批判したい」という感情が先行してしまってるのが原因だと思います。そして頭の中で「寝かせる・熟成させる」作業を疎かにしてるのかなとも感じます。

noteやブログを使って何かに対してモノを申す際、何がいいかと言うと、誤解を与えない表現ができるのもそうですが、一番大事なのは「批判したい」という感情が先行せず、書いてるうちに頭の中で「熟成」させることができることです。

頭の中で「熟成」してるうちに、「ここの部分、もうちょっと詰めたいから本読んでみよう」とか「ここはちょっと乱暴だな」など見つめ直すこともできます。


先日チャンネルくららで放送された「陰謀論とフェイクニュース」(出演者は文筆家古谷経衡氏、記者・ノンフィクションライター石戸諭氏、内藤陽介氏)でも、「知ってから寝かせる」ことについて語られています。

最後に

思いついてパッと書くことに慣れすぎてしまった現在、ついついその場の感情で言いがちです。
だからこそ頭の中で熟成する作業が、私たちに問われてるのかもしれません。

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