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run

すこし時間を巻き戻すね。

...


ランが死んでちょうど3ヶ月になる。

嘘みたいだけど、今日、ランの夢を見た。

夢の中でランがいるのは当たり前のことで、当たり前のように一緒にごろごろして(いつもどおり途中ですこし嫌がられて)散歩に行く。
家のまわりのいつもの散歩道を通っていたはずなのに、気がついたら知らない町だった。その町は崩壊のときを迎える寸前で、抜け出すための方法はだれも知らない。

今思い返すとなんだそれは、という感じだけど、夢の中なのでわたしは簡単に状況を受け入れていた。
ランと一緒に町を抜け出すルートを探す。

ここを行けば出口だ、というところまで来て、ランとはぐれた。もう引き返す時間はない。
大丈夫、ランはランできっと脱出しているはず、そう信じてその道を進んだ。

外国のパニック映画に出てくるような崩れた町の瓦礫を避けていくと、我が家が出てきた。夢ならではの、いきなりの、ぶつぎりのエンディング。
無事でよかった!と家族が駆け寄ってくる。
ランは、ランはちゃんと帰ってる!?と叫ぶわたしに、みんなは顔を見合わせ、悲しそうな表情をする。

(あ、そうだ。ランは、もういないんだった。)

そこで目が覚めた。

わーーー、ランがもういないなんて夢見たーーー!と思って、ほんとうにもういないことを思い出す。はっきりと、ぽっかりと、思い出す。

ランが死んだ日わたしは仕事で、帰ったらもうランはいなかった。
父の腕の中で、眠るように旅立ったらしい。父が泣くのを初めて見た。

最期のさいごまでランらしいなあと思った。
滅多に吠えない、大人しい、利口な犬だった。

もう立つことはできなくて、ご飯もほとんど食べられなかったけど、「ラン」と名前を呼ぶとわたしを見た。
尻尾ふらなくていいよ、と言っても弱々しく尻尾を振って頭をこすりつけてきた。
呼吸のたびにゆっくりお腹が動いて、どこもかしこもあったかかった。

たくさん走った。たくさん歩いた。
たくさん笑った。ランの前でだけは、たくさん泣いた。
どんなに夜遅く帰ったって、玄関の前まで迎えにきてくれた。旅行や合宿で家をあけたとき、久しぶりに帰ると家族の誰より大げさに喜んでくれた。
物心ついた頃からずっといっしょだった。
姉のようで、妹のようで、家族だった。

もっともっと一緒にいてやればよかった。
最期の日の朝、行ってくるねというと終わってしまう気がしてちらっと見ただけにしてしまったこと、いまでも思い出すだけで涙が出るくらい悔しい。

ひとりで歩くと長すぎる道があるよ。

ひとりだと上手に泣けない夜があるよ。

ランのいたところはまだ、空間のままだよ。

うちにきて幸せだったのかも、いい一生を過ごせたのかもわからないけど、わたしは、わたしの家族は、ランがきてくれて幸せだったし、素敵で濃すぎる時間をたしかにもらった。
それは揺るぎもないほんとうのことで、14年と8ヶ月はそれを思い知るには充分、短くない時間だった。

またね、ラン。
すこし時間はかかると思うけど、必ずまた会おうね。
そしてもう一度、いっしょに走ろう。

うちに来てくれてありがとう、ずっと大好きだよ。


2017.8.9

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