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輪廻の「効用」――もう一つの「物語」による「現実」ハックについて

 一週間前に、こんなツイートをしました。

 現代の日本では、「一回かぎりの人生を~」といった表現が定型句のように用いられますし、実際にそう考えている人も多いものと思われますが、私は業と輪廻の世界観を前提とする仏教の学習や実践をずっと続けてきていますし、また現在も「人生は一回かぎり」とは考えない人たちがマジョリティを構成する社会で暮らしていますので、そういう視点からすると、「人生」に関する日本において一般的な言説について、「別の世界観から、別の見方をすることもできるのにな」と思うことが時々あります。もちろん、そのどちらの見方が「正しい」のかということは、とりあえず措くとしてもです。

 本エントリは、そのように人生を「一回かぎり」とは考えない、業と輪廻の世界観のもとで生きている人たちが、その物語を受容することで(「人生は一回かぎり」という物語を受容して生きている人たちと同様に)得ている「効用」について解説する有料記事です。もちろん、現代日本で生活している方々に輪廻を信じていただく必要は全くないのですが、そうしている人たちが、どのような世界観を保持していて、そこにはいかなる「合理性」があるのか(千年単位で多くの人間集団に維持され続けている以上、それは当然あるわけです)ということを知るための、「異文化理解」の記事としても、これはお読みいただけるかと思います。

 具体的には、まず冒頭に引用した「運と実力」の問題について、さらに解説を加えた上で、それと関連付けつつ、「物語」という術語を導入します。続いて、この術語を用いながら、「前世や来世に気をとられて、現実を直視しない」性質のものであると、しばしば理解されがちな業と輪廻の世界観が、むしろ(東南アジアの仏教者たちがそう説くように)「いま・ここ」の「現在とともにあること」を志向する人生の態度に繋がり得るという、その経路について詳細に述べます。そして最後に、そうした「人生に関する別の物語」を私たちにもたらすものは、とくに業と輪廻の世界観だけにかぎらないという点についても、少しふれます。全体としては、本エントリは輪廻を主題的に扱いながらも、同時に私たちが人生において「現実」だと考えているものの「物語的」な性質および、それとの適切な付き合い方についても述べるものとなっています。

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