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そのへんをふらふらしてる小汚い生き物

ミャンマーはどこにでも犬猫がいる。もちろん飼い犬や飼い猫ではなくて、いわゆるノラである。日本ではノラ猫はまだしも、ノラ犬というのはほとんど見なくなったが、インドから東南アジアのあたりを旅行された方はわかると思うけれども、このあたりの国では普通にノラの犬猫がふらふらしている。というか、インドさんくらいのレベルになると、ノラ犬どころか、ノラ牛とかノラ猿とかノラ猪とかもふらふらしてるので、まあ犬猫などは珍しくもない。

(※寝てるだけです)

そういう事情だから、こちらでは犬猫というのは可愛がって飼うものというよりも、「そのへんをふらふらしてる小汚い生き物」である。ミャンマーの女の子に「猫は好き?」と訊くと、たいがい困ったような顔で「好きじゃない」と言われてしまう。猫カフェが大人気の日本とはえらい違いだが、たぶん彼女たちの感覚からすれば、「猫は好きか」と訊かれるのも「ドブネズミが好きか」と訊かれるのも、たいして変わらないのだと思う。

ただ、きちんと飼われているわけではないといっても、彼らの暮らしが、人間と全く関わっていないというわけではもちろんない。各々の犬猫の縄張りは、たいてい人間の生活圏と重なっているが、彼らがそこにいられるのは人間がそれを許しているからだし、多くの場合は、エサも人間から分けてもらっている。つまり、かなり緩い放し飼いのような状態だとも言えるわけで、実際、犬猫のほうもエサをくれる人間たちには懐いている。

この「かなり緩い放し飼い」というのはポイントで、日本とは社会の状況が異なるミャンマーの人たちには、日本でペットを飼う人たちがよく言うような、「飼うからには徹底的に・最後まで面倒を見ろ。それができないなら飼うな」という感覚はない。ミャンマーの人たちとしては、「そのへんにいる小汚い生き物」に余った食べ物をやっているだけのことだから、犬猫が病気になったからといって、わざわざ獣医に連れて行くような人はめったにいないし、繋いで躾けて管理することも(日本的な意味でペットを飼っている一部の金持ちを除けば)全くしない。犬猫が生きようが老いようが病もうが死のうが、人間の態度は基本的に放置で固定である。

このような「犬猫は基本的に勝手に放置して生きさせて、気が向いたら助けてやることもするが、しょせん畜生だとも思っているから、人間と同じように『愛護』することはとくにしない」というミャンマーの人たちの態度は、非常に「平等」な感じがして、個人的にはとても好きである。私も犬猫はわりと好きなほうだが、それに人間に対するのと同レベルの愛護精神をもって接しろと言われると、ちょっと引いてしまうほうでもあるからだ。

ただ、もちろん日本でミャンマー式の犬猫への対応をすることは難しいだろうとは思う。犬猫が放置されているということは、糞尿は垂れ流しになっているということだし、鳴き声も彼らの好き放題になっているということである。実際、ミャンマーの夜は、ときどき犬の遠吠えで、ひどくうるさいことがある。

そして何より、とくに犬の場合は、狂犬病のリスクや、そこまでいかなくても、普通に噛まれたりする危険がある。私自身は、ミャンマーで犬に噛まれたことは一度もないが、子供などは犬にナメられることも多いから、よく突っかかられて泣いている(そして、その犬を大人が蹴っ飛ばす)し、狂犬病の発生も、毎年千人ほどはあるようだ

日本くらいの公衆衛生の水準があれば、ノラ犬を多少放置していても、狂犬病の発生は多くて数人~数十人程度にとどまると思うが、それだけの人命が実際に危険に晒されるくらいなら、年間数万~数十万頭の犬を殺処分することも辞さないというのは、日本人の価値基準からすれば、仕方のないことなのだろうと思う。

逆に言えば、狂犬病のような大きなリスクを抱えているのに、なおノラ犬を徹底排除するような大規模な殺処分は行っていないミャンマー人たちの対応は、究極的な意味での「動物愛護」であるようにも思われるし、日本人的な感覚からすれば、動物の命と人間の命を、あまりに「平等」に扱いすぎていると感じられるかもしれない。

もちろん、ミャンマー的な感覚からすれば、そのへんを歩いている犬だって前世は人間だったかもしれないのだし、自分が来世で犬になることだってあり得るのだから、よほどの事情がない限り、軽々に「殺処分」などできないのは当然なのである。

とはいえ、そのあたりの事情も、経済が発展して生活水準が上がり、(相対的に)細かいことが気になるようになってくれば、おそらくは変わってくるだろう。今後も、ミャンマーの犬猫事情については注視してゆきたい。



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