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「ヤバい文章」の見分け方

 これまで長いことブログやらツイッターやらをやってきまして、見ず知らずの人からメッセージを受け取ったり、その結果として実際にお会いしたりする経験もそれなりに積んできたわけですが、そこから実感的に理解されてきたことは、「リアルで交渉をもつ以前に行う文章でのやりとりは、その相手が『自分にとって大丈夫な人かどうか』を判断するに当たって、ものすごく役に立つ」ということです。

 今回のエントリは、そのように私が見ず知らずの方々とテクストでのやりとりを長年のあいだ行ううちに、経験則として知られてきた「ヤバい文章の見分け方」について、私の「テクストと人格の関係」についての考えを適宜交えつつ、お伝えするものです。文中では、私が実際に目にすることになった「ヤバい文章」の例を、個人の特定には繋がらないような形ではありますが必要に応じて示しますので、有料記事になります。

 事前にご了承いただかなければならないことですが、本記事で私が述べる「ヤバい文章」というのは、あくまで「私にとってヤバい」ものだったのであり、したがって、同様の文章を送られて、その相手と親しく付き合うようになったとしても、別の人にとっては、何の問題も生じないということはあり得ます。そのように、あくまで「私にとってヤバい文章」の話をするということには、そうでなければならない必然的な理由があるのですが、それについては「テクストと人格」の問題と関連させつつ、本文でご説明することになります。

 ただ、以下で述べるような経験則を念頭に置いておくことにより、私自身が最近はかなりの確率で文章から「私にとってヤバい人」を判断できるようになり、結果として「事故」も相当に減ったというのは事実です。そうした例を参考にしつつ、自分なりの「ヤバい文章」の判断基準を作りたい方や、また自分がそのような「ヤバい文章」を書いていないかどうか自己チェックしたい方にとっては、本稿はそれなりに興味深く読めるものかと思います。


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