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死にたいくらいつらくなった時の選択肢

髪が伸びてきた。私は僧侶ではないのだが、これまではずっと面倒なので、バリカンで坊主にしてきたのだけど、それだとミャンマーでは会う人ごとに「お坊さんだったの?」と訊かれるので(こちらは僧侶であれば袈裟を必ず着ているから、「(現在)お坊さんなの?」と訊かれることはない)、ようやく一念発起して、普通の人と同じく髪を伸ばすことにしたのである。

いまは中途半端に髪が伸びてきている状態で、整えるにもアレだし切りに行くのもアレな感じの微妙な頭になっているのだが、ミャンマーの理髪代なんて安いものだし、週末あたりに、そろそろ床屋を初体験しておくべきかもしれない。

先日、ミャンマーで僧侶(比丘)をやっている日本人の方とお話ししたのだが、そこで日本の膨大な自殺者数の話になった。もちろん人が自殺するには様々な原因があると思うが、もし日本社会において、周囲に適応することに疲れきって死んでしまう人が一定数存在するのだとすれば、そういう人々にとっての選択肢の一つとして、ミャンマーやタイなどの瞑想センターにしばらく滞在して、ゆっくり瞑想してみることを考慮に入れてもらえるといい、という話である。

タイのプラユキ・ナラテボー師などは、そのように日本社会において精神的な問題を抱えてしまった人たちを受け入れて、カウンセリングを行いつつ、ゆっくりと瞑想してもらうという試みを続けておられるが、その著書の中で彼も言っているように、自然の中で規則正しい生活をして、穏やかに生活してみるだけで、楽になることはずいぶんある。

あるいは、昨日のエントリに書いたように、瞑想をある程度やってみることで、本人の「現実」認識が多少なりとも変わってくれば、また日本に戻って生活を続けるにしても、おのずから別の生き方が見えてくるということはあるだろう。もちろん、東南アジアでずっと瞑想を続けるという生き方が気に入れば、僧侶として、一生をそのように過ごすという選択肢もある。

瞑想センターの選び方などについては、このツイッターのまとめに記してある。そこにも書いたが、費用はさほどにかからない。交通費を含めても、普通に日本で一人暮らしをするよりは安いくらいであると思う。いずれにしても、しばらくバイトをすれば十分に稼げる程度の額で行くことが可能なので、もし興味のある人がいれば、ちょっと検討してみてほしい。

ただ、注意点としては、瞑想センターは精神的な病に対応しているところではないので、病院で医学的な療法を受ける必要のある人は、まずはそちらに行くべきだ、ということである。瞑想というのは、基本的に心を対象とする訓練であるから、精神的な病気をもっている人が無警戒に実践をしてしまうと、むしろ症状が重くなってしまう可能性もある。日本にある瞑想センターの中には、志望者に薬物治療の経歴を尋ねて、現在も投薬を受けている人については、受け入れを断ることもあるようだが、これは何か重大な問題が起こった時に対応する能力が彼らにない以上、仕方のないことであると思う。

言語については、多くの瞑想センターで英語が使用されており、基本的な英会話ができるのであれば、選択肢が大きく広がる。ただ、日本語の通訳をおいている瞑想センターも増えてはきているので、自信のない人は、そうしたセンターを選ぶとよいと思う。

それと、当然のことではあるが、受け入れてもらう以上は、行った先の瞑想センターのルールを遵守して、先方の指示にはしたがうこと。もちろん、非仏教徒の西洋人などもたくさん来て瞑想しているから、「仏教徒」になる必要はない。この点については、一般的な日本人としての気遣いを忘れずに、礼儀正しくしていれば、おそらく問題ないと思う。

もちろん、人には色々な事情があるから、「東南アジアの瞑想センターに行くなどということは、とても考えられない」という人も多いだろう。ただ、日本社会において死にたいくらいつらくなった時の一つの選択肢として、そういうものがあるということも、頭に入れておいてもらえると嬉しい。



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