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藤田一照師との対談二回目、よかったこと二つ

 昨夜の藤田師との話は予想に違わず面白かった。ツイキャスのほうは回線の都合で何度か放送が途切れているので、対談の録画を視聴されたい方は、上の Youtubeのリンクからご覧になっていただきたい。

 前回は二人の話が主であまりコメントも読めなかったので、今回は藤田師に視聴者の方々からの質問にできるだけ答えていただくようにしたのだが、おかげで対談の話題も多岐にわたり、様々な関心に応ずることのできる、興味深い内容になったかと思う。

 対談で個人的によかったことは二つあって、一つは「『仏教思想のゼロポイント』に対する誤読のオンパレードから知られる、日本仏教に独特の観念重力空間」について話ができたこと。これについては、自分のキャスなどでは何度か言及していたが、藤田師にこの話題をぶつけてみて、その反応を見ることができたのは貴重な機会だった。

 たとえば対談の中で例に挙げている「『大乗の奇妙さ』という小見出しがあるから、『仏教思想のゼロポイント』は大乗批判をしている」などという解釈は、英語の "even though……, ~" とか、"yes (of course)……, but~" とかいった表現で、いわゆる従属節の "……" の部分だけの内容を読んで、主節の "~" を読まずに「解釈」をするようなもの。いや、より実際に即して言えば、従属節の "……" だけでさえもその全体を読むことすらせず、その中の一単語だけを抜き出して、そこから受けた印象だけで文章全体を理解したつもりになるようなもので、全く「読解」と呼ぶには値しない、「児戯」と評するのも児童に失礼なレベルの行為である。

 こんなレベルの稚拙な誤読に対してまで、「それは読み手が間違っている」とはっきり言わずにいるとすれば、そちらのほうが酷いおためごかしだと私には感じられるが、同時に、そのレベルの稚拙な誤読を、なぜか一部の日本仏教の関係者の方々(それも、知的には必ずしも劣っていないはずの人たち)が次々と繰り出してくるので、少々戸惑っていたのも事実ではある。

 「業界」外の人で、かつ一定の知的な訓練を受けている人は書いてあることを普通に理解してくれるので、やはりこれは日本の仏教に関わって展開されている「観念重力空間」みたいなものがあるのだろうと思わざるを得ないのだが、それは「是正」されるべきものなのかどうかと言えば、僧侶でもない私にはよくわからないし、自分にできることは、書いてあることを普通に読んでくれる人たちがマジョリティになるまで、とりあえず「そっと距離をとる」ことかなあと、思ったりもするわけである。
(※いちおう言っておくと、全ての「日本仏教の関係者の方々」が、この「観念重力空間」に縛られているわけではもちろんない。それが猛威をふるっている範囲は、日本仏教関係者の中でも、あくまで一部の人々と一部の領域に限られる。ただ、その「一部の猛威」によって、私がずいぶん迷惑したのも事実である。)

 もう一つ個人的によかったことは、対談の冒頭で藤田師によって紹介されているが、大ファンの某哲学者の方に『感じて、ゆるす仏教』をお読みいただき、基本的には好意的に受け止めていただいて、長文の感想も書いていただいたらしいことである。

 こちらのほうは、全く素直に嬉しかった。テクストを真摯に書けば、こういうご褒美もあるということで、その喜びを胸に、また「次」に行きたいと思う。


※以下の有料エリアには、過去のツイキャス放送録画(私が単独で話したもの)の視聴パスを、投銭いただいた方への「おまけ」として記載しています。今月の記事で視聴パスを出す過去放送は、以下の四本です。

 2018年1月30日
 2018年2月16日
 2018年2月21日
 2018年3月6日

 六月分の記事の「おまけ」は、全て同じく上の四本の放送録画のパスなので、既にご購入いただいた方はご注意ください。

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