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チーズケーキ課題から、「少数派」が学べること

 ツイッターでまわってきた、「発達障害」もしくは「社会性の障害」を測るための大人用のテストというのが面白くて、いろいろと考えてしまった。私は知らなかったのだけど、このテストは「チーズケーキ課題」とも言われる有名なもので、NHKの番組などでも取り上げられたことがあるらしい。その内容は、以下のとおりだ。

• 恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
• 恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
• 恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。
• 「おじさんのためにケーキを作っているの」。
• おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。

ここで質問です。
• 気まずいことを言ったのは誰ですか?
• なぜ気まずいのでしょうか?
(引用はこちらから。PDFにつき注意)

 このチーズケーキ課題の「設問の悪さ」(その設問の悪さこそが、一周回って、実はこの問題の「よさ」でもあるという点については、後述する)については、以下のツイートから続くスレッドで私が考察したとおりである。

 このスレッドの中で、私は「設問の微妙さの理由を丁寧に分析することで、逆説的に『定型発達者』の人たちが自然かつ非言語的に判断の前提としていることが明らかになる。そういう意味では、この問題はメタな視点から考えれば『いい問題』だが、できればそんなまわりくどい手続きは要求せずに、そうした『自然かつ非言語的な前提』を理解するための問題集などを作ってほしい」という趣旨のことを書いた。

 ただ、現実問題としては、そのような「問題集」を作成することは難しいだろうとも思う。というのは、「問題集」として出すからには、上述の「自然かつ非言語的な前提」を言語化した上で、それを「正答」として提示しなければならないわけだが、そうした前提はしばしば「多くの人にとってはあまりにも自然なので、そうと意識すらされていないバイアス」に基づいているので、それを言語化して明示的な「正答」として提示することには、場合によっては政治的な問題が生ずるからである。

 以下の有料部分では、チーズケーキ課題を題材として、この問題に表現されている(ひょっとしたら作問者自身も自覚していない)「普通の人にとっては自然すぎて、そうと意識できないバイアス」を明らかにした上で、そのようなバイアスを前提とせずに人間関係を理解するタイプの「発達障害者」(もしくは、「少数派」に属する人たち)が、敢えてそうしたバイアスを規範的なものとして受容する必要があるのかどうかというところまで、踏み込んで考察してみることにする。

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