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かなしいアンビバレンス

ベトナム系アメリカ人の方とたまたま話す機会があったので、ファーガソンの暴動の件について訊いてみたら、「ああ、彼らはいつもそうなんだよ。白人が射殺されても何も言わないのに、黒人が射殺されれば大騒ぎするんだ」と、かなり厳しい調子の批判を口にしていたので驚いた。

「日本では今回の件は黒人に対するレイシズムが原因だということで、彼らに対して同情的な意見も強いのだけど」

「そりゃレイシズムがあるのは事実さ。だけど、レイシズムにだって原因がないわけじゃない。黒人に対する差別意識をつくったのは、彼ら自身の振る舞いだ。彼らは肌の色によって差別されているわけじゃない。自分自身の振る舞いによって差別されているんだよ」

「振る舞いというと?」

「僕は黒人が多く住むところで育って、彼らの生活をずっと見てきた。彼らは騒がしく、汚くて、子供を次々と産むくせに、まともに世話をしようとしない。それで最後は政府に文句を言って大騒ぎするんだ。あれで批判を受けないほうがおかしいよ」


そのベトナム系アメリカ人の方自身は、10歳の頃にボートピープルとしてアメリカに渡り、そこから大学を出て専門職に就き、いまは英・仏・越語に堪能な知識人である。その背景にはおそらく凄まじい苦労と努力があったことは察せられるから、その彼の視点からすれば、今回の暴動などは黒人の「甘え」に見えるのかもしれない。

ただ、以前に彼と話した時には、ベトナム系アメリカ人のアメリカでの地位が話題になって、その時に彼が「でもどれだけ英語ができて能力があっても、彼らは決して僕たちのことを『同じアメリカ人』だとはみなしてくれないから」と、さみしそうに言っていたのはよく覚えている。

私はアメリカに住んだことはないし、アメリカに関する専門知識もとくにあるわけではないのだが、そんな彼の語り口から勝手にアンビバレンスを感じてしまって、こちらもちょっとかなしくなったミャンマーの乾季であった。


※今日のおまけ写真はタイのシンプルな仏塔。石造りなのがいい雰囲気です。

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