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『自由への旅』の別レシピ

 ウ・ジョーティカ『自由への旅』は新潮社より2016年に刊行された翻訳書で、ウィパッサナーというテーラワーダ仏教の瞑想法を、しばしばパーリ語のテクストを引用しながらガチ解説するというなかなかニッチな著作でありながら、ありがたいことに日本の読者の方々からは広汎な支持をいただき、現在まで版を重ねている。

 かつて私は、本書を「自分の知るかぎり世界最高の仏教書」と形容したことがあるが、その評価はもちろん現在でも変っていない。ただ、『自由への旅』が出版されてからしばらく経ち、読者の方々の反応なども様々に見ていると、ちょっと本書の「利用法」については、一言付け加えておくほうが親切かなと思うようになった。

 というのも、『自由への旅』はウィパッサナー瞑想について、その実践が進むにつれて段階的に開かれてゆく境地の一つ一つを、丁寧に順を追って解説するという構成をとっているのだけど、こういう著作の場合、叙述が進めば進むほど、それは既に語ったことを前提とすることとなるし、また実際に長く瞑想実践を続けていてはじめて当面するような事態についても、後半になるとふれられることになるから、本書の全体としての凄みを理解することができるのは、相当に経験の豊かな瞑想実践者でないと難しいということにはどうしてもなってしまう。比喩的に言えば語学書のようなもので、自分自身で手を動かして書いてある知識を身につけるという訓練をしていないと、ただ読み進めるだけでは後半になると何が書いてあるかもわからなくなってしまうのである。

 実際、本書は長く瞑想を続けている人たちには概してものすごく評判がよいが、そうではない初心者の方や、まだ瞑想をしたことのない人たちは、大部の本書を三分の一くらい読み進めたところで、たいてい挫折してしまうようである。

 もちろん、上述したように『自由への旅』には語学書のようなところがあるので、最初は後半の記述の意味がわからなくても、しばらく自分で実践をしていると、「あれはこういうことだったのか」とか「こんなことまで解説してあるのか」といったことが、だんだんと理解されてくるものと思う。だから、とりあえずわかるところまで読んで、あとは必要になるまで参考書として置いておくというのも、一つの手だ。

 ただ、私が個人的におすすめする『自由への旅』の利用法として、もうひとつ「拾い読み」というものがある。つまり、座右においた本書を気が向いた時に適当に開いて、気になったところを数頁だけ読むという、bot的な使い方をするわけだ。

 上のウ・ジョーティカbotにピンとくるものがある人なら、この読み方はおすすめである。まず、読みやすい第三章か、できれば第四章くらいまでは通読してほしいが、それ以降は、読みにくければとりあえず措いてよい。ただ、たまになんとなく気分が落ち着かない時や、瞑想をしたいけれどもモチベーションが上がらないような時に、『自由への旅』をどこでもよいので適当に開いて読むのである。botの言葉に惹かれるものを感じる人なら、これはわりと、実際的な効果があると思う。

 なぜこういう読み方を進めるかというと、ウ・ジョーティカ師は本書の後半で、もちろん瞑想のテクニカルな問題についての詳細な解説を行っているのだが、同時にその端々で、世界観や人生観、あるいは宗教に関する一般論も語っており、これが実に面白いというか、せっかく購読していただいたのなら、これを読まないままで済ませるのはもったいないと思うからである。

 たとえば、『自由への旅』の最終章である第十一章において、ウ・ジョーティカ師は以下のように述懐している。

皆さんがどうお感じになるかはわかりませんが、私は人生において長いこと、何年ものあいだ、自分が「ほんとう」ではないと感じていました。私はただ、ある役割を非常に上手く演じていただけで、あまりに上手に演じていたから、皆がそれを信じていたのです。しかし、おわかりのように、演じ続け、ふりを続けているあいだは、「ほんとう」でないと感じてしまう。自分の人生に、満足を感じることがないのです。でも、私は「ほんとう」でありたい。私は本当に、自分のしたいことが何であって、自分がどのように感じていて、自分が何者であり、どこに向かっているのかということを、見出したいと思っているのです。

 このような、理解するためにとくに文脈も訓練も要らないが、しかし多くの人に共感できるであろう話はそこかしこで語られており、前後を読めば、そうした普遍的な困難に対していかに対処すべきかということも述べられている。私もしばしば、あたかも「日めくりカレンダー」のように、『自由への旅』の中のそうした言葉を毎日少しずつ読むことがあるが、これまで何度も読んでほとんど覚えているような話ばかりなのに、それでもやはり、読むたびに私はその語りに助けられた。

 もちろん、本の読み方は所有者の自由だから、『自由への旅』もどう読んでいただいてもいいのだが、もし本書を持っているがそういう読み方を考えたことはなかったという人がいるならば、ひとつ試してみてはいかがでしょうかという、老婆心切のエントリであった。


※以下の有料エリアには、先月のツイキャス放送録画の視聴パスを、投銭いただいた方への「おまけ」として記載しています。今月の記事で視聴パスを出す過去放送は、以下の四本です。

 2018年11月11日
 2018年11月16日(さむさんとの対談)
 2018年11月17日(長尾俊哉さんとの対談)
 2018年11月26日(沼田牧師との対談)

 二月分の記事の「おまけ」は、全て同じく上の四本の放送録画のパスなので、既にご購入いただいた方はご注意ください。

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