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スイーツと「世界観」

ベルギーにてデザイナーをやっている人と、スカイプで話す。彼はもちろん専門家ではないので仏教や哲学のことについてはほとんど知らないし、私はファッションのことについてほとんど知らない。だから私は仏教や哲学の話をして、彼からファッションの話を聞く。これがすごく楽しくて、二時間くらい喋ってしまったのだが、互いに(たぶん)大きな刺激となった、有益な時間であった。

そのことからも実感したが、分野によらず、自分の「世界観」をもっている人たちとの話は、本当に楽しいものだと思う。いつも言うように、私は「連ドラ・ブランド・スイーツ」の話が苦手なのだが、実際のところは、そういう分野の話がそれ自体として嫌いであるというわけではない。例えば今回のデザイナー氏はブランドの世界で働いている人だが、その話はとても面白かった。

私が苦手なのは、分野によらず、そこにある事象とそれに対する感覚的な感想をただ羅列するタイプの話で、例えば、「こういうスイーツがあって、それがすごく美味しい」というだけの話だと、コミュ力のない私としては、「そうですか」と応じる以外になくなってしまう。

これに対して、例えば連ドラでもブランドでもスイーツでも、それと関わることで自身の「生」の理解を常にアップデートしてきた人たちは、そこからくる独自の「世界観」を、自身の内に有していることが多い。

そういう人たちと話していると、話題がたとえ個別具体的な事象でも、その背景には彼らの育んできた独特の「世界観」が透けて見えるから、それが私にとってはたいへん面白いし、また自身の「世界観」を語り出すための、呼び水ともなるのである。

誤解してほしくはないのだけど、この「世界観」というのは、自身の仕事とは別の「余計なこと(余事)」として、言語による思索を独立に行うことによって形成されるものではない。むしろそれは、自分の領域に徹頭徹尾沈潜することによって、その行為の上澄みとして、析出されてくるものである。だから、そういう人たちの語ることは、言葉が足りなかろうが語彙が貧弱だろうが、圧倒的に面白い。

そのような語りのことを、「哲学」と呼べるかどうかはわからないが、少なくとも「思想」の名には値するものだと私は思う。そういう話を聞ける機会は貴重なものだが、今後もできれば増やしていきたいと強く思った、ミャンマーの夜であった。


※今日のおまけ写真は、陽だまりの子猫。もうかなり大きくなってやんちゃですが(^_^;)

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