見出し画像

HIT!  <呪術VS美術> 美術評論家、樋口ヒロユキ氏との対談(中編)

No.007
表紙写真・著作者 Jesse Clockwork



画・笹山直規


アートのことなんか全然解んない人が何か言ってるよ、くらいの扱いだった

笹山 「樋口さんの著書の中で『呪術』という言葉が良く使われていますが、やはりそのような、美術からはみ出した『何か』を見ていきたいという気持ちがあるのでしょうか?」

樋口 「『美術』と『呪術』ってニコイチだと思うのですよ」

笹山 「他の美術評論をやっている人は『呪術』という言葉はあまり使いませんね」

樋口 「まぁ、言わないよね(笑)」

笹山 「はい」

樋口 「ただし、ある種の敏感なセンサーを持っている人達はいて、つまり『呪術』というのを毛嫌いする人はいらっしゃるんですよね」

笹山 「それはどんな人ですか?」

樋口 「まぁ名前は伏せるけど、関西に著名な美術作家がいて、この人なんかは僕がその手のことを喋ったら、『下らないねぇ』って面と向かっておっしゃいましたよ(苦笑)」

笹山 「うわぁ、そりゃキツい……」

樋口 「他にも2〜3回はありますね。某公立美術館でキュレーターをされている方から『呪術だって(笑)』って、やっぱり目の前で笑われました。7〜8年前のことだったかなぁ」

笹山 「そんなことがあったのですねぇ」

樋口 「今そんな失礼な人はいませんけどね」

笹山 「当時は風当たりがかなり強かったのですね」

樋口 「う〜ん、なんだろう? やっぱり舐められてたんじゃないかな」

笹山 「下の者に見られていた?」

樋口 「そうそう、アートのことなんか全然解んない人が何か言ってるよ、くらいの扱いだった。そういう厭らしい面は美術界ってあるでしょう?」

笹山 「ゴクリ(汗)ありますねぇ。僕もこの10年間美術界で活動してきて、色んな人から相当キワモノ扱いを受けてきましたので」

樋口 「でもそれって逆に言うと、彼らは呪術的な美術っていうのが歴然と存在することを本能的に知ってるから、それだけ嫌悪するのですよ。もし呪術的な美術なんてどこにも存在しないんだとしたら、いちいちムキになって全否定する必要もないわけじゃない?」

笹山 「ほうほう」

樋口 「だってね、この本でも取り上げてるロン・ミュエッックをはじめ、80年代後半のイギリスに出て来たYBA(ヤング・ブリティッシュ・アート)の作家たちとか、もうあれ、まんまそういう人達じゃない。彼らはものすごく呪術的。デミアン・ハーストなんかもね」

笹山 「確かに!」

樋口 「さっき話したやなぎさんだって、90年代までは非常に理知的なアプローチで作品を作ってたのに、ゼロ年代半ばからは『フェアリーテール』に転じて、自分にさえ意味が分からないような呪術的寓話を作り出したわけでしょ? 日本の美術ではたぶんゼロ年代頃に、そういう呪術的なものが顕在化してきたんだよ。他に挙げれば、小谷元彦さんであるとか、『陰刻彫刻』の西尾康之さんとか」

笹山 「なるほど、考えてみれば、結構いますね」

樋口 「特にゼロ年代以降、そういう人は立て続けに出てきた」

笹山 「松井冬子さんも注目されましたね」

樋口 「確実に『呪術』的なものはあって、しかもここ10年間で、その存在感を増してきたことは確かですね」

笹山 「本当にそうですね」

樋口 「否定はできない筈なのですよ。『呪術』と『美術』は無関係なものじゃないし、何度も呪術的美術は現れてるんですね。たとえば最近では、60年代に活躍した呪術的作家、工藤哲巳さんが再評価されていますよね」

笹山 「そうか、繋がっているのですね!」

樋口 「あるいは、いま富山県立近代美術館で大規模な回顧展を開催している成田亨さんとかね」

笹山 「おお、ウルトラマン☆」

樋口 「そう、怪獣ですよ、怪獣! 成田亨さんはシュルレアリストであると同時に、ウルトラマンやなんかの怪獣をデザインしたデザイナーだった」

笹山 「バルタン星人!ゼットン!!」

樋口 「怪しい獣なんだから、まさに呪術的だよね!」

笹山 「フォッフォッフォッフォッフォッ」

樋口 「(笑)。美術って、そういうものを、どこかで宿命的に含み込まざるを得ない。長いスパンで見ると、嫌悪されたりする局面はあるのだけどね」

笹山 「そうですよね」

樋口 「例えば今京都で『バルテュス展』がやっているでしょう。でもさ、浅田彰さんも書いておられたけど、バルテュスってちょっと前まではゲテモノ扱いされてた作家ですよ!」

笹山 「確かにそういう扱いを受けていたと思います」

樋口 「それが今や巨匠と銘打たれている。あのバルテュスが!」

笹山 「僕は先に上野の東京都美術館で観てきましたけど、凄い数の観客でした。某有名タレントの姿もありましたね、大ブレークしていました」

樋口 「まるで印象派の大家かなにかみたいに、すんなり一般の観客に受け入れられていますよね。昔からバルテュスを観ている人はびっくりする現象だと思いますよ」

笹山 「少女のおぱんつ丸見えポスターが駅とかにど〜んと張られていますしね!」

樋口 「三菱一号館美術館で開催している『ヴァロットン』も、相当変な画家ですよ」

笹山 「う〜ん、、、不気味ですよね」

樋口 「今はそういうもの、つまり従来なら奇想の作家、変わった作家だとされていたものが、どんどんポピュラリティーを得ている。フランシス・ベーコンもそうだし伊藤若冲もそう。いまさら印象派の展覧会とかやっても、もう小さくしか記事にならないでしょう」

笹山 「アートの鉄板企画にも、流石に陰りが見え出しましたか!」

樋口 「20年前だったら、こんな逆転現象は考えられないですよ」

笹山 「時代の転換期なのでしょうかねぇ」

樋口 「昔は判で押したように印象派の展覧会をやっていて、たくさんおばちゃんとかが観にきていた。いまでも確かに人気はあるけど、打てば必ず当たるという時代では、もうなくなっていると思います」

笹山 「日本のアートは100年遅れている!なんて言われますが、流石にもう良い加減、新しい何かを求める人が急増しているのでしょうね」

樋口 「だからね、美術の中に呪術的な奇妙なものがあって、それが繰り返し出てくるって現象は、冷静に歴史を振り返れば否定できないことなんですよ。でも、だからといって奇妙なものが正しいのだとも僕は思わないんです。だって、どうせまた逆転するんだから!」

笹山 「なるほど、ただ今時代的にそっちの方が前に出てきている、というだけのことなのですね」

樋口 「そういう構造が見えたところで、僕の中では毒抜きが終わったという感があります」

笹山 「昔はもう少し吠えていたけど?」

樋口 「毒を持たないとダメだ! ってね(笑)」

笹山 「でも、お話を伺っていると、時代的にそうなってきていますよね」

樋口 「皆そう言い出してきていてね、そうなると僕はアマノジャクだから、もういいか〜ってなってきて(笑)」

笹山 「あらあら(笑)」

樋口 「最近は桑山忠明さんが凄くカッコいいな〜とか思っていて」

笹山 「ええ〜、ミニマルアートじゃないですか!?(笑)」

樋口 「これまでの僕の方向性とは違うよね(笑)」


美術評論家、樋口ヒロユキ氏


笹山 「でも、今グローバル社会になってきて、若いアーティストは外国の人達へ向けて『言語』でアートを説明しないといけない、という責任感が出来てくると思うのですよ。僕も少し海外のアートフェアなんかに作品を出させてもらう機会が増えましたが、そこでも言語での説明が多く求められたりして……」

樋口 「確かに呪術的な感情は、スクエアな美術理論にはいっけん馴染みにくいように見えますよね。でも、まったく言葉にするのが不可能というわけでもない。例えば僕が本の中で、谷澤紗和子さんを論じる時に使った『アブジェクシオン(おぞましいもの)』という概念なんか、もう30年くらい前に出て来たものなんですよ。この言葉を唱えたのはフランスの思想家のジュリア・クリステヴァっていう人なんですが、1998年に彼女がキュレーションした『斬首の光景』っていう大規模な展覧会があって、そこでもアブジェクシオンが大きなキーワードになった。のちにそれを含み込むようなかたちで、アメリカの美術評論家のロザリンド・クラウスも『アンフォルム』っていう概念を論じています」

笹山 「ロザリンド・クラウスは、クリステヴァの事嫌いでしたよね?」

樋口 「でも、ロザリンド・クラウスも実は立脚点はバタイユっていう思想家で、これがまた大変に呪術的な思想家なのですよ。アブジェクシオンに関しても彼はムキになって否定してるフシがあって、しかもその論拠はバタイユなので、結局のところ彼の論も、呪術的なものと関わっている。向こうの理論家って『呪術』的なモノを忌避したりはしない」

笹山 「なるほど、むしろ積極的に取り込んでいるのですね」

樋口 「向こうで起こっているそういう議論は、何故かあまりこちらには入ってこないですね」

笹山 「確かに、これだけ世の中が情報化して、何でも流通しているのに、不思議とそういう事を話す人は全然いないですね」

樋口 「多分日本人の西洋人崇拝みたいなものがあるのですよ」

笹山 「と言いますと?」

樋口 「立派な外人さんがそんなバカなことを仰る筈がない、という(笑)」

笹山 「ははは、なるほど(笑)」

樋口 「そういう否認がどっかで働いているんだよね、たぶん」

笹山 「僕も変に西洋人を買い被ってきたことはあったかも」

樋口 「西洋美術史をみたら、ルネサンスもあるけど、その後にマニエリスムとかバロックがくるわけですよ」

笹山 「一気に緊張の糸が解れて、ドバァ〜って感じになりますね」

樋口 「理性と本能が交互に出てくるんだよね」

笹山 「新古典主義の後はロマン主義がきていますよね」

樋口 「そのあとの印象派の裏には象徴主義があって、並行して走っていたわけです。つまり『美術』と『呪術』、どっちかしかない美術史なんてありえないのですよ」

笹山 「歴史をみれば自明なことなのに、頑に否認する人がいる」

樋口 「なんでだろうね?」

笹山 「わかりません(キッパリ)」

樋口 「良く解らないよね」


(次回後編では、樋口さんからこれからアーティストを志す若い人達へのメッセージがあります。乞うご期待下さい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?