じゃあ今の自分の文章はどうなの

 パルばっか書いて久しいわけで、ほかに書いた長文、長文?といえばクイック・ジャパンに寄稿した「親の料理がうまくなかったので自炊に関心を持った」なんて話くらいだ。もともと作文の技術的なことはなにも学んでないので我流で棒を振り回している状態である。ただ文体の起源はあって、これは「世界朝食紀行」の西川治だと思う。どんな文体かというとこういう抑揚のない感じ。あーでもそういや俺にも物書きの師匠いたな、まあいいや(このように崩す場合はそちらの影響を受けている)。

 パルの話に戻るというかパルの話なんかしてないのだが、「パル構文」なるものが存在すると言われている。これは人とそういう話題になったりトークイベントで喋ったりしているのだが、まず自分がブログをやりたくなったからパルを開設した。漫画描きが漫画の話をするのはヤなので漫画以外の楽しいこと(そして漫画は別に楽しくない)、蟻はもう飼ってないし、巨大数はWiki内に書けばいい。じゃあ料理だ。それで外食の感想を書いたりしたこともあったかもしれないのだが、自分が人様の料理を云々しているのが気持ち悪すぎてすぐにやめた。食べログの連中は気が狂っている。それで「自分の料理になにを言ってもいいだろう」と思い、自炊中心のブログになった。また、文章になるべく装飾を入れたくなかったので表現がどんどん抽象的になっていき、結果ああなった(ちなみに自分が20年前にやっていたサイトの文章はかなり味付けが濃く、厳しい)。ともかくそうした表現が「パル構文」と言われているような表現になったということだと思う。ようするに手を抜きつつ感情を排除してなるべく誰にも怒られないようにしているわけだ(あと思い出した、俺はなにかをdisろうとすると無限に粘着してしまうので、文章でそれを起こしたくなかったから最低限の表現になった)。それでもブコメはありとあらゆる手段で難癖をつけてくる(これは俺が「あいつらは難癖をつけてくる」と認知が歪んでいるのもある)ので、最初はブコメを一切読まなかった。これが正解。やがて目を通すようになり精神が悪くなってきたので、アクアパッツァの次からはもう二度とブコメを読まないぞという強い気持ちを持っている。お互い好き勝手言ってるのが平和である。ちなみに「よかったですね」で締めるのは、野村潤一郎のブログのパクリである。不思議なもので、「よかったですね」で終わった文章は「よかったな」と思えるのだ。

 という感じでいまの自分の文章を確認しているが、抑圧的だな、と思った。まあ何をしてきた訳でもないのだからこんなものだろう。

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