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ゆうべパースの話をしたことです http://togetter.com/li/681975

この理屈を現場でモロに使って僕がコレでいま食っています。要するに奥義です。あくまでイメージを構築するための理論武装なので、これに加えて「ではどういう技法で描けばよいか」「それっぽくするとはどういうことか」などがセットで必要ですが、僕に背景を訊いてきた人達の中でそこの説明が必要になるとこまでいったケースは見たことがないですね。

結局手を動かさないと描けるようにはならんし、僕がいままで背景の面倒見ようとした人達はだいたい1枚見せに来て終わりました(どっかでよろしくやってるのかもしれんけど)。それは師匠から見た僕も完全にそれだったのでまあわからないでもないです。師匠には自主的に見せなかったけど業務で無理矢理描いてたから幸いできるようにはなったけど。

描けるようになりたい人の「背景を描きたい」と僕の「背景はこうしましょう」の間には深い深い溝がありますね。そして僕からそちらに歩み寄る教育の技術を残念ながら持っていません。

「理論がわからないし背景が描けない」という人は、理論がわからないから背景を描けないのではなくて、イメージ構築の段階で何を表現したいというのが曖昧なのかもしれません。「これをこのように描く必要がある」という状況であれば、理論さえ知っていれば画面を設計することは出来るはずです(ただし膨大な時間を必要とする)。

よく、トランプを将棋盤に並べて描くと良いなんていうけど、あれは空間把握や模写どうこうというのもそうだけど、自分のイメージにないもの(興味ないもの、どーでもいいもの)を無理やり描かされるということの負荷がいちばん効いているんじゃないかなと思います。トランプとかすげーどうでもいいじゃん、クィーンも別に可愛くないし。

「何をしたくてどのような知識と技術が必要なのか」が見えてないと、道具を持ってたとしても描けないですよね。関数に入力がなければ出力はないってことです。

おかねの取れそうな話になりましたね。めんどくさいからこのへんにしましょう。おわり

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