べき論する人を避ける理由

いきなりですが、私はべき論を使う人が苦手です。

べき論で話す人って無駄に偉そうにしてて頭悪そうじゃないですか?もちろんロケーションによりますけどね。
なぜかって、〜べき、ってことはそれが唯一解ってことですよ。条件があるにしても。なんでお前なんかがその解をわかっているんだよ。ただお前が解だと思い込んでいて見えてる情報が少ないだけだろ。そう思わずにいられません。

親や先生、上司など身近にいる立場の人に言い続けられて来ました。べき論って、強い印象があるし一方的な情報ですので、そうした人たちが口にしてしまうのもわかります。ですが、〜〜べき!と自信満々に言われる度に、こいつはバカっぽいなぁ。と思って来ました。かなりスレたガキです。

場合によっては主張の内容が正しい場合もあるでしょう。しかしとにかく表現がよくない。「〇〇の時は、〜〜がベターであると私は思う。」というのが私としてはしっくりくる表現です。ポイントとしては、

①どんな状況や目的に対するものか、という条件を明確にすること
②betterでありbestではない。つまり、他にもより良い解は存在するかもしれないし、存在するならそれを積極的に受け入れる姿勢
③主語を省略しないことで、どこまでいっても主観に基づく主張であるという姿勢

以上の3つです。強く伝わりやすい分、受け手には言葉が省略されて伝わります。そのため①とかが端折られるのです。そして②・③からうかがえる傲慢かつ視野狭窄な姿勢がキライ。ここが1番です。他人も自分も否定せずに肯定していかないと面白くないっす。息苦しいだけ。

逆に受け手としては、『本当にそうなのか?』or『なるほどそうなのね。』と思うかで、知性レベルが変わると思っています。何かを盲信してしまう人と、主張の原因を探ろうとする人では一つの事象に対して得られる情報量が大きく違います。

身近な大人たちにこのような反応をし続けて来た人間だから今みたいな仕事があってるのかなぁとも思ったりすることもあります。『本当にそうなのか?』は研修中にもよく言われていたフレーズでした。プログラマーの方たちも同じような性質あるんじゃないかなー。少なくとも、べき論に目くじらを立てていないとしても同様の思考・着眼点の人はこの世にたくさんいますよね。ただそれって対象を変えれば真逆になって、地元のコンビニの前で溜まってたような人たちの中に同じような人はいなかったし、田舎の親戚の集まりでも違和感とストレスしか感じないです。これ読んだときのリアクションが「わかるわー」なのか「何言ってんだこいつ」で自分を試してみてください。

「べき論を使う人を避けるべき(笑)」とまでは言いませんが、使っている人は意識的に控えるように、言われたら耳半分程度に聞き流すといいんじゃないかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?