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ワーケーション合宿体験記@伊豆下田

ランサーズの根岸です。

2019.6.7~8、ワーケーション合宿を開催した。開催の意図はこちらに記載したとおり。ご興味のある方は読んでいただきたい。ここでは実際に体験したワーケーションについてレポートする。

合宿の開催地は?

拠点は伊豆半島南端の観光地・下田のNanZ VILLAGE。伊豆急下田駅から徒歩3分程度だが海も近い好立地。飲食店などが立ち並ぶ観光地のど真ん中に、(良い意味で)違和感満載の空間が陣取っていた。※地元の新聞に急遽取材を受けたのだが、記者の話によると、地元でも「いつも楽しそうなんだけど、なんだあそこは」と思われているらしい。

実はこの場所、Living Anywhere の拠点のひとつでもある。

場所やライフライン、仕事など、あらゆる制約にしばられることなく、好きな場所でやりたいことをしながら暮らす生き方(LivingAnywhere)をともに実践することを目的としたコミュニティです。メンバーになることで、日本各地に設置したLivingAnywhere Commonsの拠点の共有者となり、仲間たちと共生しながら、自宅やオフィスにしばられないオフグリッド生活を体感、理想のLivingAnywhereを実現するための技術やアイデアを共創していく、刺激に満ちた環境に身を置くことができます。

Living Anywhereは「自分らしくを、もっと自由に」をコンセプトとしている。テクノロジーによる先進的なスタイルでそれを実現できると信じている。「テクノロジーで誰もが自分らしく働ける社会をつくる」をビジョンに掲げるランサーズとは、働くと住むというスタート地点の違いこそあれど、実現したい世界が完全一致だ。ランサーズが行なうワーケーション合宿の開催地としては、まさにベストといえる。

同時に今回の取り組みを進めるにあたり、この記事はとても参考にした。かいつまんで抜粋すると以下が特徴的なメッセージだ。

そこは実は混ざっていて、プライベートな時間が支えになってるとよく言いますが、支えどころではなく、その時間こそが働きそのものなんですよね。「ここからが働く」だとか「ここからが働かない」だとか、オンとオフだとか、あれは古い(笑)。
ワークライフバランスって、オンかオフかって話ではないと思うんです。つまり、楽しみとして仕事している時間だったら、今はオンとオフどっちなんだ? ってなりますよね。あるいは、遊んでいる間に思ったことが、次の仕事にものすごく大きなヒントになるかもしれない。お金をもらってるからと、きちっとわけたら、やることがなくなっちゃうんですよ。混ざってるんです。
考えればあるんですよ、さかさが。だからそれは何を意味してるのかなあって、自分の頭を使って考えることですよね。言った人をせめるんですよね、今はね。言葉だけをとらえて。そんなピンで留めたような言葉なんてないですよ。「バカ!」っていうのが愛情だったりするんです。それを「バカって言いましたね!」「糸井重里、暴言」とかね(笑)。「公私混同」という言葉もまさしくですけど、自分の心の中を見て考えることが大事ですよね

合宿のプログラムは?

1泊2日のプログラムはこうだ。1日目午後前半/DIOによる交流、1日目:午後後半/セルフブランディングワークショップ、夜/地元の人も交えた懇親会、2日目午前/ワークショップ続き、2日目午後/自由。といたってシンプル。がちがちのプログラムは意図的に組まなかった。誤解を恐れずにいうと、事前準備もあえてざっくりにした。その場でのハプニングや未完成を楽しむためには、綿密な計画こそ逆に機会損失と考えたからだ。

DIO(Do It ourselves)は、DIYのみんなでやる版。真っ白の壁をどうするかも自由。単独でやるDIYと違い、みんなでやるDIOは、複数の人がいるからこそ、いろんな発想が生まれる。それをみる、それを聞く、それを感じることで、自分を知る、自分を見つめなおす、他の人の良いところを知るキッカケ、新しい発見となった。

DIOの時間を経てからのセルフブランディングワークショップは、いきなり全開・全快・全壊でスタート。通常のワークショップはよそよそしい雰囲気から始まりがちだ。自己紹介も固く、ぶっちゃけをさらけだすまでに時間がかかる。自然と対話しながら、思い付きだらけの無責任なアイデアをぶつけ合うDIOを通じたからこそ、場の空気をつくる時間は必要なかった。お互いに思っていることを素直にぶつけられるので、言われているほうも心に刺さる。オブラートに包んで何かを言い、オブラートに包んだ答えを返すという茶番劇はなかった。数時間前に初めて出会ったばかりなのに、すでに関係性ができていた。

子供は公園の砂場で一緒に遊ぶことで、帰るころには劇的に仲良くなっているもの。大人になればなるほどそういった機会は皆無だからこそ、得るものが大きかったのではないだろうか。

参加者の声は?

ほかにも、「可能性の循環の兆しを感じた」「ちょっと迷っていたけど、思い切ってやると決められた!」「自分はライターだと思い込んで思考していたけど、他にも自分ならではの特徴に気づけた。新しい仕事にもチャレンジしてみる」「次にやりたいことが明確になった。さっそく日程を決めた」など人によって様々だったが、「何が起きる機会なのかよくわからなかったけど、飛び込んでみてよかった」だけは全員一致した意見だった。そして、すぐに次の行動にうつっていた。

まとめ:「働いている時間とそうじゃない時間が混じって、その人のキャリアになる」

僕自身も、じっくり考えて整理する課題を抱えてから参加した。会社のデスクにいるときだって、もちろん考え事はできる。できないとは全く思わないし、それができないと決めつけたらなおさら変な話だ。ただ、ペンキ塗りをしているとき、多様な人と交流しているとき、ぼーっと海と空を眺めているとき。THE仕事とは関係ないときに、抱えていた課題の大きなヒントを得た。「シャワー浴びてるときに思いついたけど、出たら忘れちゃった」みたいな話に近いのかもしれない。

大前研一さんによると、「会う人を変える」「住む場所を変える」「時間の使い方を変える」の3つが変化と進化のポイントとのこと。ワーケーションは、どれかではなく、総取りできる方法だ。

一部前述したが、糸井重里さんによると、「働いている時間とそうじゃない時間が混じってその人のキャリアになる」とのこと。実際のところ、内心は誰もが納得感のある話ではないだろうか。

こういった話はついつい、「糸井さんや大前さんは特殊ですごい有名人だから」となりがちだが、むしろ特殊なのは、彼らを特殊と捉えるマジョリティーのほうかもしれない。もしも多数決でフツーが決まらないならば、フツーこそ彼らであり、フツーを純粋に通すから、すごいとなるんだと。

あえて極端な言い方をしてみる。仮に、なんらかの理由をつけて自分を我慢させることを大人というのならば、「年を重ねるほど、ちゃんとした子供になろう」が、未来の生き方・働き方なのかもしれないし、働き方と生き方をわけて表現することもなくなるのかもしれない。

少し余談だが、早稲田大学 交域哲学研究所のサイトより。働くことの両義性というテーマの中に、こんな文字があるので抜粋したい。

…ゲルマン語系の work の方にはあまりマイナス・イメージはない。同語源のドイツ語 wirken にも見られるように、その意味するところは何らかの自主的・能動的な活動をなすということである。その活動の結果としての作品が名詞としての work(Werk)である。(~中略~ )こちらの意味の「働く」は必ずしも「自由」と矛盾しない。この方向で考えると、働くことは自由な活動の性格をもつことになり、さらにはある種の芸術家に見られるように「遊び」の様相すら呈することにもなる。それどころか、(~中略~) 人間の文化現象全般を遊戯として見ることも可能である。念のために言うと、本来の遊びは「まじめ」なものである。

ワーケーション合宿は今後も開催していく。「テクノロジーで誰もが自分らしく働ける社会」に本当になるには、単にインターネットで仕事ができるよね、リモートでいけるよね、だけでは不充分。ツールが置き換わるだけなら、次のツールによって置き換えられるだけ。変化の激しい現代において、ゆらがない自己確立がなければ、「変化=大変」となり続ける。誰にでも不変の何かが存在しているが、もしかしたら今は隠れているかもしれない。それを引き出せる方法のひとつがこの取り組みになる。参加者が体感すればそれは周囲に少しずつ伝播し、いつしか大きな広がりをみせる。初のワーケーション合宿で感じた最大の可能性だったなと思い返しながら、気持ちよく帰路についた。

本当は電車でトコトコ帰りました!

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