サガイ・ナイン農民虐殺事件の真相──プロローグ 阻まれる農地分配

 フィリピンの西ネグロス州北部に位置するサガイ市に、ネネというサトウキビ大農場(アシェンダ)がある。農場の所有者は、地元の有力者トレンティーノ家だ。2018年10月20日、その農場で働く9人の労働者が殺害された。事件の発生場所と殺害された人数から、サガイ・ナイン(SAGAY 9)事件と呼ばれる。

 今回は、この事件に関する報道について検証していく。

 どうして、2年前の事件をいま取り上げるのか。それは、この事件が、軍事化を加速した「2018年通達第32号」発効の引き金となった事件の一つとされているからだ(*1) 。サガイ・ナイン事件に関して流される国軍側の情報の不確かさや疑問をつまびらかにすることは、このネグロス島における軍事化の前提自体を問うことになる。軍事化に正当性があるかどうか、一石を投じたい(*2) 。

 今回の検証の結論を先取りして言えば、この事件に関して、国軍や国家警察といった治安当局が、不確実な、または、間違った情報を連続的に流したことを指摘できる。あるいは、特定の事情や事実に言及しないことで、読者のミスリードにつながったと想定される。例えば、それは事件に関係がありそうな被害者たちと地主らとの間にあった長年の土地紛争の事実だ。

 どのように、異論を唱える者たちが犯人として仕立て上げられていくのだろうか。どのように、「犯人は共産党軍事部門(NPA)とそのフロント組織だ」というシナリオが作られていくのだろう。

 流布された情報の検討に入る前に、サガイ・ナイン事件の背景と、事件の概要についてお話ししよう。

 まずはその背景から。

分配対象になった農地、マルコスからアキノへ

 この事件を知るには、スペイン統治下で導入された封建的な土地所有の問題を抜きにはできない。この問題は今もフィリピン社会や政治に深く突き刺さっている。

 米国統治下より続く農地改革の歴史を概観してみよう。

 1900年代初旬より、いくつもの農地改革関連法が制定されたが、少数の者へのさらなる土地の集約を容易にしたり、地主と小作人の関係を規定したり、小作人が支払う地代の限度を設けたりする程度にすぎなかった(*3) 。

 1963年に制定された農地改革法には、農地の所有権を耕作者へ移転することが初めて明記されたが、範囲が限定的であった(*4) 。

 開発独裁として悪名高きマルコス政権において、1971年、上記の農地改革法が改正された(*5)。小作人の廃止などが掲げられ、農地改革省が設置されたが、翌年の戒厳令布告によって本法は葬られてしまった(*6) 。

 戒厳令布告後、マルコスは、小作解放令(大統領令第27号)を布告した。1971年当時、フィリピンの人口の68%が農村地域に暮らしていた(*7) 。この法律は、自作農への転換を企図したモノだったが、農村に勢力を拡大しつつあったフィリピン共産党軍事部門の新人民軍(NPA)を意識した対抗策であり(*8) 、また、政敵の基盤切り崩しのためでもあった(*9) 。

 マルコス大統領が退陣に追い込まれ、民衆の民主化への大きな期待の中、1986年、アキノ政権が成立した。

 翌年、「1987年憲法」が公布され、小作人や農場労働者への農地再配分を断行する権限が政府に与えられると明記された(*10) 。画期的なことではあったが、農地改革の実行過程に関して、農民組織などから大きな批判が上がった。なぜなら、地主に対して正当な補償をする、土地分配の代替手段の余地を残すなどの条項が組み込まれていたからだ(*11) 。この問題をめぐり、政府と農民グループの対立が激化し、同年11月、大統領府へ抗議に来た農民デモ隊に国軍が発砲するという、農民たちの間で今も語り継がれるメンジョーラ橋虐殺事件が起きた(*12) 。

 ともあれこうして、アキノ政権発足後2年3か月が経った1988年6月、マルコス政権の小作解放令を統合して、包括農地改革計画(CARP)が制定された。この計画は、地主の元で働く農民への農地分配をとおして、不公正な社会の是正や農民の福祉向上、地方の発展などを達成しようとしている(*13) 。

 この包括農地改革計画は時限立法で、2回の延長を経て2014年に終了した。だがそれ以降も、2014年までにこの計画の対象地であると認定された農地は、引き続き農地分配の対象である(*14) 。

制度と現実との大きな乖離

 ここで、運用上の手順を整理しておく。

 政府が策定した包括農地改革計画のガイドラインによれば、農地分配を円滑に進めるために、農地改革省が、対象地の選択、地主との交渉、受益者への通知、土地所有裁定証書(CLOA)の発行などの責務を負う(*15) 。

 ガイドラインに従うならば、ごく単純化して説明すると、小作人や農場労働者が土地を所有するまでには次のような行程を経る(*16) 。

〈農地改革省と小作人・労働者とのやり取り〉農地改革省が対象地を決定→受益者に通知→農地改革省が土地所有裁定証書発行→受益者が土地所有裁定証書を受理→受益者は地代の返済開始(30年ローン)→受益者は地代を完済し農地の所有権を得る
〈農地改革省と地主とのやり取り〉農地改革省が対象地を決定→地主に通知→フィリピン不動産銀行が地価を決定し、地主へ通知→不動産銀行は地代を地主へ支払う

 現実的には、土地所有裁定証書を受け取ったあと、受益者が地代のローンを完済することは至難の業だ。

 農地改革に詳しい全国砂糖労働者連盟(NFSW)の調べでは、さまざまな理由から、土地所有裁定証書を受け取ったネグロスの受益者の70%ほどは、すでに農地の使用権を第三者に取られてしまっている(*17) 。

 農地の使用権が第三者へ移ってしまう問題については、他の機会にとりあげることにしよう。ここでは、(1)小作人や農場労働者は、地主から土地の分配を受けることを憲法によって保障されている、しかし、(2)現実には小作人や農場労働者への土地の分配は進んでいないこと──を確認しておきたい。

 制度と現実との間には大きな乖離がある。

 では、今回のシリーズの主題であるサガイ・ナイン事件で、被害者たちにどんなことが起こったのか、具体的にみていこう。

被害者は農地分配を求め続けた農場労働者

 サガイ・ナイン事件の被害者は、サトウキビ大農場(農場名ネネ)で働く労働者たちだ。親の世代から同じ農場で働いている。事実上の所有者は、地元の有力者カルメン・トレンティーノだ。

 彼らは、全国砂糖労働者連盟のサトウキビ大農場ネネ支部に所属している。この労働者連盟は、フィリピンの左派系有力労働組合の一つで、ネグロス島を中心に約1万1000人の組合員を抱える。

 全国砂糖労働者連盟は、創設の1971年以来、主に、労働者の権利に関する啓蒙活動や法的支援などを実施している。会員からの寄付で賄われる活動費では専従スタッフへの賃金さえ支払えないが、労働者の尊厳回復を目指す当事者たちの強い志によって同連盟は永らえてきた。

 同連盟の取り組みの一つに、小作人などに農地を分配する包括農地改革計画に関する連続セミナーがある。そう、前述したように、アキノ政権下の1988年に制定された、あの包括農地改革計画だ。

 サガイ・ナイン事件の被害者たちは、この労働者連盟の指導者たちと一緒に、農地分配を受けるために、その包括農地改革計画を学んでいた。そして法律に則った農地分配が実行されるよう、農地改革省へ根気強く働きかけ、地主との交渉を続けてきた。

 その訴えは6年間続いた。

不可解な「贈与」で却下に

 ネネ支部の農場労働者たちは2012年、農地改革省へ請願書を出した。彼らが働くサトウキビ大農場ネネの土地を包括農地改革計画の対象地として承認し、この計画を進めるよう要請したのだった(*18) 。

 包括農地改革計画のガイドラインに従えば、小作人や農場労働者にそのような請願書を提出する義務はない。前述したとおりだ。

 しかし、受益者になる可能性のある者自身が行動を起こさない限り、農地分配を見込めないという現実がある。地主が様々な手段を講じて、対象地となることを阻止しようとするためだ。

 そのため、ネネ支部の農場労働者たちは自ら、農地分配を求めるアクションを起こしたのである。

 政府がつくったガイドラインはあるものの、当事者からの申請がなければ手続きが開始されないのがこの政策のミソだ。生活苦から小学校を卒業することも困難な農民が、専門用語で埋められる英文の行政文書を読み込むのは大変だ。これでは、「名ばかり分配」と言ってよいのかもしれない。

 2012年に請願書を提出してから、ネネ支部の農場労働者たちは幾度も農地改革省との協議の場を持ち進捗状況を確認した。催促を続けないと、何も進まないのが常だからだ。行政任せにはできない。当事者が行動しないと事が進まないのだ。このあたりはフィリピンの特徴的な政治風土である。

 ところが、その2年後の2014年、農地改革省の地元の担当者は労働者たちにこう告げたのだった(*19) 。

 「大農場ネネの土地は1988年に25人に贈与された」

 寝耳に水だった。早速、全国砂糖労働者連盟は調べた。それによると、記録上、同農場の76.88ヘクタールの土地が1988年の時点で25人に「贈与」されたことになっていた(*20) 。

 なぜこんなことになっていたのか──。

「これは、ダミーだ」

 不可解な「贈与」の発覚以降、ネネ支部の農場労働者と全国砂糖労働者連盟は、この「贈与」には妥当性がないと主張し、実態を調べるように農地改革省へ要請した(*21) 。

 この「贈与」は、農地分配を逃れるための地主の方便である、「ダミー」である──。そう、全国砂糖労働者連盟は主張する。理由として主に三つの点を挙げる。

(1)「贈与された25人」の中には「贈与」された事実を知らない人がいるということがわかったこと(*22) 。
(2) 地主が土地を分割して「贈与」し、農地分配を免れるというケースはめずらしくないということ。法律では、分配の対象地となるのは5ヘクタール以上の農地だ。その分配を免れるため、地主は土地を5ヘクタール未満に分割し、「贈与」したことにする。その土地はもはや、包括農地改革計画の対象にはならないとの言い分だ(*23) 。
(3) トレンティーノがサトウキビ大農場ネネの所有者であるということは、労働者たちだけでなく、地元では周知の事実であること。「贈与」は形式的なことで、実質的な所有者は変わっていない、と受け止められている。たとえば、サガイ・ナイン事件に関する記者会見において、西ネグロス州警察は、トレンティーノが所有者であると発言している(*24) 。 

 以上の理由から、全国砂糖労働者連盟も、ネネ支部の農場労働者たちも、「25人への贈与」は、トレンティーノが農地分配を免れるためのダミーだと考えている。しかし、それでも、ネネ支部の農場労働者たちは農地改革省と一連の協議を重ねたのだった。

 ところが、協議の場でいくら要請しても、農地改革省は「25人への贈与」の実態を一切調べようとしなかった(*25) 。

 なぜ調べようともしないのか──。ここに、地主という経済的な存在が政治的な存在としても地域に君臨していることがうかがえることだろう。

 2018年10月15日と翌16日、ネネ支部の農場労働者と全国砂糖労働者連盟は再度、協議の場を設定した。サガイ・ナイン事件が起こる5日前だ。

 しかし、農地改革省の担当者は姿を現わさなかった(*26) 。 

 こうして、ネネ支部の農場労働者たちの訴えは葬られた。

6年間の訴えに立ちはだかる「抜け道」

 地主と農民の〈支配-被支配の構造〉は今もフィリピン社会に深く突き刺さっている。

 小作人や農場労働者に農地を分配するということは、こうした両者の関係性の破壊を意味する。支配層にとっては簡単に首肯できるものではないだろう。

 有名な短編小説に書かれた地主と農民の会話を紹介する。地主と農民の関係性がうまく描かれている。

(略)
「……で何か用かい。」
「へい、うちのティナイの奴、もうここにお邪魔したでしょうか……そのう……米を借りに……?」
「ああ来たよ。でもずっと明るいうちに帰っていったよ。米を借りたいって言ってたねえ。」思いなしかスラの声がこわばって聞こえた。
「ちょっとあの人にもいったんだけどねえ。もうほかで借りておくれよ。お前さんたちこれで二年も借りっぱなしだよ。その上まだ借りるなんて。これじゃ増える一方じゃないか。そうだろう。そのうちもう返せなくなるんじゃないのかい?」
(略)
──アルフォンソ・スヘコ「かまどの煙」『フィリピン短編小説珠玉選(1)』寺見元恵訳、井村文化事業社、1978年

 農地改革省に請願書を出したネネ支部の農場労働者たちは、地主たちの圧倒的な権力を思い知らされながら、6年もの間、法律に則った農地分配が実行されるよう、農地改革省へ根気強く働きかけてきた。

 しかし、結局、地主による「25人への贈与」、つまり土地を小さく分割して分配の対象地ではなくなるように見せかけるという制度の「抜け道」によって、ネネ支部の農場労働者たちへの農地分配は阻止されてしまった。

残された抵抗運動ブンカラン

 そして、生活苦や飢えに絶えられなくなった彼らは、ブンカランの実行を決意した(*27) 。ブンカランは、サトウキビの収穫後、自分たちが分配されるはずの農場の一部に、農場労働者が自家消費用の作物を植える抵抗運動だ。食糧確保のみならず、自らの権利を主張すること、再認識することを目的としている。

 農地分配への道が閉ざされ、ネネ支部の農場労働者たちはブンカランという抵抗運動を選択せざるを得なかった。制度通りに農地が分配されていれば、ブンカランを開始する必要はなかったはずだ。

 サガイ・ナイン事件の背景には、法律や制度はむしろ地主の特権を保護するために利用されている、という現実を押さえておく必要がある。

 そして、2018年10月20日。〈その日〉が来た。事件が起きた。

ブンカランの初日に不可解な動き

 2018年10月20日の午前10時、ネネ支部の農場労働者やその家族が、ブンカランを開始した。

 開始後ほどなくして、ネネ支部の農場労働者のグループのリーダー、レン・マンランギットの携帯電話が鳴った。農場の管理者からの電話だった。

 「農場で何をしているのか」

 マンランギットはそう問い詰められた。

 マンランギットは、「サトウキビ収穫の後に作物を植えることについては伝えてある」と応答し、彼らは計画どおり、ブンカランを開始した(*28) 。

 この日は農場に不可解な動きがあった。

 普段は見ない外部者の出入りが農場内であった。農場内に幹線道路はないので、通常、そこで働く労働者や農場管理者以外を見かけることはない。だが、午後2時頃、ブンカランのメンバーは、記録上、農場を「贈与」されたことになっている人物の息子を目撃した(*29) 。後からその人物もブンカランの現場近くを通った。

 普段はいないはずの人間がブンカランの現場に姿を現したのだ。

 不可解な出来事はこれだけではない。

 午後3時には、労働者たちのテントのそばを3台のバイクが通ったことも確認されている(*30) 。

 ”何か”がおかしかった。

 作業を終え、14人を残し、ブンカラン参加者の大方は帰宅した。11人はブンカランの現場に張ったテントの下にいた。2人は現場から徒歩数分の知人宅で携帯電話の充電をしていた。1人は、数百メートル離れたところにあった収穫間近のサトウキビの陰で用を足していた(*31) 。

石油を撒いて火を放った

 その時、午後9時45分。突然、銃撃が始まった。

 そして、男性4人、女性3人、未成年者2人が殺害された。銃撃後、犯人は石油を撒いて火を放ち、3人が燃やされた(*32) 。

 ほかの2人はテントから飛び出し、生き延びた。

画像1

【写真】農民が殺害された現場=2018年10月20日、フィリピン西ネグロス州サガイ市、提供・全国砂糖労働者連盟

 ところが、事件は、9人の殺害では終わらなかった。

被害者が加害者に

 被害者が加害者に仕立てられてしまったのだった。

 知人宅で携帯電話の充電をしていたために命拾いした前述の2人は、レン・マンランギットとロヘリオ・アルケリオ。この2人が虐殺の容疑者として告訴されたのだ(*33) 。それだけではない。現場から飛び出して生き延びた14歳の少年の弁護にあたる人権団体カラパタンの弁護士キャサリン・パングバンは、誘拐罪で告訴された(*34) 。これらのことは後の回で詳しく検証する。

 フィリピン社会に深く突き刺さった地主と農民の〈支配─被支配の構造〉。

 サガイ・ナイン事件の被害者たちは、長年、法に訴えてきた。途方に暮れた彼らが、意を決しさらなる一歩を踏み出したその瞬間、彼らは殺害された。この事件の残虐さと非道さは、そこにある。

 これを書いている2020年10月10日時点で、真相は明らかになっていない。そればかりか、上記2人と共産党軍事部門(NPA)の犯行であるとして報道されている。そして、事件当初より、被害者家族への「援助」が手厚くなされているように報道された。悪天候のために実現しなかったが、弔問のために、ドゥテルテ大統領が実際にネグロス島を訪れてもいる。また、同国政府や地方自治体が被害者家族へ「援助」していることや、国軍によって開催された事件1年後の記念式典や現在の新型コロナ対策の中でも援助物資を届けていることがアピールされている(*35) 。

 次回から報道を検証していこう。どのように異論を唱える者たちが犯人として仕立て上げられ、どのように「犯人は共産党軍事部門とそのフロント組織」だというシナリオが作られていくのか──冒頭で設定したこの”謎”を解剖していく。

脚注

*1) Rappler, "Duterte orders more soldiers, cops in Bicol, Samar, Negros Island," November 23, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://www.rappler.com/nation/duterte-orders-more-military-police-troops-samar-bicol-negros-island). なお、この通達によって2018年11月、フィリピンの中ほどのビサヤ地方に位置するネグロス島とサマール島、サマール島に近接するビコール地方に、国軍と警察が増員された。隣のセブ島からフェリーで到着した兵士でいっぱいの国軍トラックは、列をなして市街地の人びとの前を通り過ぎ、ネグロス島の山間の村へと向かった。
*2) ただし、ここでは、ネグロス島などへの軍事化の妥当性、国軍が真っ先に共産党軍事部門(NPA)を犯人だとする背景についてまで踏み込んだ議論はできない。この論点は別に論じる機会を持つ。
*3) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、34-37頁。
*4) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、34-37頁。
*5) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、37頁。
*6) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、37頁。
*7) マリア・ロザリオ・ピケロ・バレスカス『真の農地改革をめざして──フィリピン』角谷多佳子訳、国際書院、1995年、98-99頁。
*8) 滝川勉『戦後フィリピン農地改革論』アジア経済研究所、1975年、139-140頁。
*9) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、37-38頁
*10)アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、43頁。
*11) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、43-44頁。
*12) アルセニオ・M・バリサカン、野沢勝美『フィリピン農村開発の構造と改革』アジア経済研究所、1994年、43-44頁。
*13) 共和国法第6657号。
*14) 2020年農地改革省行政命令第1号。
*15) 2012年農地改革省行政命令第3号、2020年農地改革省行政命令第1号など。
*16) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年2月、フィリピン西ネグロス州バコロド市。
*17) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年2月、フィリピン西ネグロス州バコロド市。
*18) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2019年1月、フィリピン西ネグロス州エスカランテ市。
*19) 他方で、農地改革省は、サトウキビ大農場ネネを包括農地改革計画の対象地とし、この土地紛争を解決するよう地元の事務所に要請した。
*20) 全国砂糖労働者連盟内部資料など
*21) 全国砂糖労働者連盟内部資料など。
*22) 全国砂糖労働者連盟が過去に遡って調べたところ、2001年に、全国砂糖労働者連盟ではない別の農場労働者グループでも同様の事案があったことがわかった。当時、その別の農場労働者グループは、包括農地改革計画を進めるよう、農地改革省へ要請していた。しかし、この時も「25人への贈与」を理由に彼らの訴えは認められなかった。加えて、奇妙なことに、分配を要請したグループのリーダーの名前が、「贈与」の受益者リストに入っていたのだった。記録上、そのリーダー自身の知らないところで、彼は「贈与」を受けたことになっていた。後日、内容は不明だが、所有者のトレンティーノとそのリーダーとの間で「話し合い」がもたれ、結局、そのリーダーはこの農場を去った。そして、彼は新しくビジネスを始めた 。商売をさせてやるから何も言うな──そのような「懐柔の構図」が透けて見えるし、全国砂糖労働者連盟も同じ見立てをしている。奇怪な出来事だった。しかし、それがまかり通ってしまう 。お墨付きを与えたのは裁判所だった。裁判所は2004年、2001年に出されたその農場労働者たちの要請を却下したのだ。「25人への贈与」、つまり土地が細かく分割されて分配の対象ではなくなったということが理由だった。出典: 全国砂糖労働者連盟内部資料など。
*23) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年2月、フィリピン西ネグロス州バコロド市。
*24) Panay News, ”Castil: Nocppo considers all angles in Sagay massacre," October 24, 2018, (Retrieved October 10, 2020, http://www.panaynews.net/castil-nocppo-considers-all-angles-in-sagay-massacre/). なお、農場はアラン・シンビンコという人物が借地人になっており、ネネ支部の農業労働者たちは、農地の所有者のトレンティーノではなく、借地人のシンビンコに雇用されている関係になっている。全国砂糖労働者連盟内部資料によると、シンビンコは、サガイ市に400ヘクタール以上の農場を借りており、そのほとんどで土地紛争を抱えている。
*25) 全国砂糖労働者連盟内部資料など。
*26) 全国砂糖労働者連盟内部資料など。
*27) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2019年1月、フィリピン西ネグロス州エスカランテ市。
*28) DZRH News, "NFSW supports FFM findings in Sagay 9 Massacre," October 27, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://dzrhnews.com.ph/nfsw-supports-ffm-findings-in-sagay-9-massacre/).
*29) DZRH News, "NFSW supports FFM findings in Sagay 9 Massacre," October 27, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://dzrhnews.com.ph/nfsw-supports-ffm-findings-in-sagay-9-massacre/).
*30) DZRH News, "NFSW supports FFM findings in Sagay 9 Massacre," October 27, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://dzrhnews.com.ph/nfsw-supports-ffm-findings-in-sagay-9-massacre/).
*31) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2019年1月、2020年2月、それぞれフィリピン西ネグロス州エスカランテ市、バコロド市。
*32) サガイ・ナイン事件と関係しているかどうかはわからないが、この手口は、2017年12月に殺された全国砂糖労働者連盟メンバーのフローラ・ジモラ(Flora Jimola)のことを想起させた。彼女も撃たれたあとに、身体を燃やされた。その翌月、2018年1月にも、全国砂糖労働者連盟メンバーのロナルド・マンラナット(Ronald Manlanat)が銃殺された。ジモラは、働いていたサガイ市にあるサトウキビ大農場スサナ(Susana)でブンカランを実行し、最終的に、土地裁定証明書を受け取っていた。マンラナットはこの労働者連盟のまとめ役としてさまざまな土地紛争に関わっていた。出典: DZRH News, "NFSW supports FFM findings in Sagay 9 Massacre," October 27, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://dzrhnews.com.ph/nfsw-supports-ffm-findings-in-sagay-9-massacre/)., 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年9月など。
*33) Philippine News Agency, "PNP files murder raps vs. 2 Sagay massacre suspects," October 28, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1052334).
*34) Philippine News Agency, "New Negros army chief vows to go after rebels," November 5, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1052970).
*35) Philippine News Agency, "Gov’t provides aid to Sagay 9 kin; House probe sought on massacre," October 24, 2018, (Retrieved October 10, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1051977)., Philippine News Agency, "Displaced sugarcane workers in W. Visayas get cash aid," Retrieved October 10, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1113807)., etc.

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