狂言ー現代に通じる笑いの古典大系ー(『読書のいずみ』115号寄稿文)

狂言は今から600年ほど前、室町時代に成立した、日本最古のコメディーです。作品の話題となるのは日常生活に根ざしたものが多く、何気ない普段の暮らしをちょっと視点を変えたり、極大化して見せることで、時代背景こそ違え、人間が普遍的に持つ本質や意外な一面を浮き彫りにしています。
展開されるストーリーを中心に見たとき、笑いの対象、テーマとなっているものは、今でいう、漫才やコントに通じる物も多く、その意味で狂言は「お笑い」の古典、という側面を持っています。そういった狂言の笑いについて、ここではご紹介したいと思います。

狂言における笑いの要素は、大まかに言って、言語的な笑いと視聴覚的な笑いとの二つに分けられます。狂言は元々、洒落や冗談などで人々を楽しませる言葉遊び的な芸をする者や、曲芸や猿真似、今で言う所のストリートパフォーマー的な芸を得意とした者など、大衆諸芸の影響を受けて出来上がったと考えられており、それぞれの特徴を示した作品にそれらの影響を窺い見ることが出来ます。

前者の言語的な笑いとは、極端に言えば今で言うところのダジャレに相当します。

一休さんのとんち話で有名な『附子』(ぶす)という作品はご存じの方も多いかと思いますが、その冒頭にはこういう会話があります。
 
主人「今から行く程に汝ら良う留守をせい」
太郎「いや、あの(附子の入った桶を指し)留守と申す者がお留守を致せ
   ば、他には要りまするまい」

「ルス」と「ブス」がごっちゃになった何ともトンチンカンな応答ですが、この類のやり取りは枚挙に暇が無く、例えば『花争』(はなあらそい)という狂言には、
 
主人「今から花見に行く程に汝供をせい」
太郎「よその鼻を見させらりょうより、私 の此の鼻を見させられい」
主人「汝の鼻を見て何が面白かろう」

などというどうしようもない会話もあります。
しかし、狂言ではこのようなダジャレ(秀句(しゅうく)と呼びます)が頻繁に登場します。

また狂言では、和歌を様々な場面で好んで用いているのですが、和歌こそ掛詞や縁語といった修辞を駆使する言葉遊びであり、ダジャレの元祖とも言うべきものです。

さて、狂言の笑いにおいては、現代で言えばモノマネや体を使ったギャグなどに近い、見たままおかしい、という笑いも定番です。

『柿山伏』(かきやまぶし)という狂言では、柿を盗んだ山伏が柿の木の持ち主に見つかるまいと、烏の鳴き声(コカーコカー)や猿の仕草(キャキャキャッ)の真似をして、必死にごまかそうとする場面がありますが、その姿は見るからに滑稽です。

また、『梟』(ふくろう)という憑き物を素材にした狂言があります。憑き物と言えば、一般的には狐や狸ですが、フクロウが人に憑いたという所が狂言らしい飛躍した発想です。
当初は一人に憑いていただけであったのが、周囲にも次々伝染し、最後には舞台上の人物が皆「ポッホイ」と叫びながら退場していく、という何ともシュールな構成で、見様によってはコメディーというよりホラーとも言えます。しかし、これも鳴き方の奇異さや仕草の滑稽さが目を惹くことで、自然に笑いを誘う作品となっています。

この『梟』にも見られるように、ナンセンスな構成・やり取り、というものも狂言ではお得意の表現です。
さらに、笑いの要素を詳しく見れば、繰り返しによる笑い、立場の逆転、個性のぶつかり合い、極端な発想や勘違い…などなど、実に多くのパターンがありますが、これらも現代のコントや喜劇における笑いと共通する要素と言えます。

そして狂言において最も特徴的なのが、伝染する笑い、特に「笑い」による笑い、とでも言うべきものです。
狂言の登場人物たちは、とにかく多くの場面で笑います。また、この笑い方にも狂言独特の特徴があり、大きく息を吸い込み、全身を使って、「ハーッハッハッハッハッ…」と吐く息全てを使ってたっぷりと表現します。現実でいきなりこんな笑い方したら、額に手を当てられ「どこかおかしいんじゃない?」と言われかねませんが、狂言では最も重要な表現方法となっています。

狂言の根底には、笑うこと自体をめでたいこととする考えがあり、祝言性というものを大事にしています。言い換えれば、「笑う門には福来る」という言葉の精神を最もプリミティブに体現した芸能と言えます。
それは、笑いのエネルギーとでも言うべきものが、観ている人々の心を揺り動かし、自然と笑みを浮かべさせる、そういう笑いの伝染性が意識されているからなのです。

しかし、何もこれは狂言に限ったことではありません。現代においても、例えば、テレビ番組の収録の際、スタジオの見物客や制作スタッフの笑い声を演出の手段とすることがありますが、これなどは笑いの伝染性が意識されたもので、今なおその考えが生きていることが分かります。

このように狂言は、古典芸能ではありながら、現代の私たちを楽しませてくれている様々なジャンルに通じる物があります。まさに、笑いのエッセンスの宝庫、ともいうべき芸能なのです。

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河田圭輔(かわた・けいすけ)
1980年兵庫県生まれ。京都大学農学部卒業。在学中に狂言研究会に在籍。大蔵流狂言師の木村正雄・網谷正美の指導の元、現在まで約50曲を上演。好きな役は出家。趣味は御所や鴨川の河原で能管を吹くこと。京都市在住。


【参考図書】
・『狂言ハンドブック』
小林責/三省堂/ISBN4-385-41030-5
狂言に関することが一通り網羅されていて大変重宝。現在演じられている全作品のあらすじや鑑賞ポイントが紹介されているので、鑑賞のお供にもお勧めです。
・『狂言絵本』
橋本朝生/白竜社/ISBN4-939134-20-2
狂言研究会出身の研究者、編集者による執筆。作品の解説が主ですが、狂言の楽しさを伝えることに主眼がおかれていて、イラストも可愛らしい馴染みやすい一冊。
・『狂言のデザイン図典』
茂山千五郎/東方出版/ISBN4-88591-952-5
狂言で用いられる衣装や小道具を、写真をふんだんに用いて紹介している。狂言装束の豊かな色彩やユニークな意匠が楽しめ、舞台芸術としての狂言を堪能できます。

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※プロフィール文は、執筆当時(2008年)のまま転載しています。

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