お米の謎

「稲作 古代」で検索したところ石包丁は稲刈り用だとか

木製農具が見つかったとか、まことしやかに書いてある。


コメをどうやって調理していたのか?

っていうと炊飯器のようなものがきっとあったのだろう。

鍋のようなものや燃料もなんとかして調達していたのだろう。


稲作のおかげで人口が増加したとか鉄製農具で土を掘り起こしたから

微生物が繁栄して土壌が豊かになったとか、なんかの本にはあったのだが

稲作が先なのか人口増加が先なのか?

だって水田を作って維持するには相当数の労働力が必要なのわけだし。


農業用水を巡っての水利権争いは古代戦史にもうひとつ見当たらない。


疑うわけじゃないが、コメはいまいち謎のソウルフードなのだ。


麦やヒエアワのほうが作りやすいから、そっちの畑の方が多かったはずなのだが

コメへの憧れは尽きることはなく西日本で400年、それから200年かけて関東に到達したという。


当時中国は世界の先進国で憧れの桃源郷だった。

稲作は先進国の証だったのだ。中国の大皇帝が食しているコメをなんとか日本に根付かせたい。

我が国も先進国の仲間入りをしたいという先人たちの熱意の賜物なのだ。


近現代の戦争の時代になって植民地を作りまくってしまったのも当時の先進国のしるしだったからにほかならない








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