本当に子どもを愛せてる?いま必要な『愛する』を教えてくれた言葉

子どもにどう接したらいいのかを考えたり、話したりする時、色んな言葉が出てくる。

たとえば

『愛する』とか

『尊重する』とか

『受け入れる』とか

そうやって聞くと、「うん、それ大事だよね」と思う。

でも、自分の日々の行動が、子どもを『愛して』『尊重して』『受け入れて』それがちゃんと出来てる!と自信を持って言える親っているんだろうか?

正直、わたしにはわからなかった。

わたしは息子を愛せてる?

このところずっと、そのことについて考え続けていた。

そして昨夜読んだ本の中で『ああ、愛するって、これだ!(少なくとも今のわたしに必要なのは!)』と、心に響いて、すっと入ってくる言葉と出会った。

自分のために、そして同じことで答えのない問いを問い続けている人のために、書き記しておきたい。

愛とは相手のために時間を使うこと

愛とは何でしょう?いきなりの質問で驚かれたかも知れませんが、精神分析では、愛とは相手のために、相手本位に時間を与えることにあると考えます(T.ブラトエー)。(中略)そして、子どもが成長する上でも、こういう「徹底的に自分本位の時間」を、親が共有してくれる体験が必要なのです。『肝心なときにいつも失敗する人たち/杉田峰康著/PHP研究所出版 P194より引用』

この中で大事なところは『相手(子ども)本位の時間』ということだと思う。

どれだけ一緒の時間を過ごしたとしても、それがこどもが望むことを望むように子ども本位の時間でなかったとしたら、きっと子どもにとって、無償の愛情を感じられる時間ではないんだよ、と言われたような気がした。

例えばこどもが一緒に電車を走らせて遊びたいのに、わたしはその遊びに興味がないという理由で、やらない。そしてわたしがやってもいいと思えるものの中から他の遊びを提案して、一緒にそれをしたとしたら…

それは、わたしと子どもが一緒に楽しく過ごした時間ではあるかもしれないけれど、子どもがわたしからの愛を感じる時間ではない・・・

むしろわたしがわたしの思いを子どもに満たしてもらった時間だ。

その時間が要らないものだなんて言うつもりはない。

それでも『愛する』を突き詰めて考えるときには違いを感じておきたい。

この考え方に反対の人もいるかもしれない。または、こんなこと(=相手本位な時間を過ごすこと)は言葉にするまでもなく当たり前にやっている人もいるかもしれない。

でも、基本的に自分のやりたいことだけやりたい上に子ども心に返って遊ぶことが苦手なわたしにとって、足りないところはここなんだ…と感じた。

まさに昨日は、一日中自分の作業に手一杯だった。ずっと一緒に家に居たのにほとんど遊ぶ時間を作れなかった。

親にいくら頼んでも相手をしてもらえない、または他のことをやりながら一緒にいるのでは『あなたよりも大切なことが他にあるんだよ』と子どもが感じてしまっても仕方のないことかもしれない…

子どもが望んでるのは『なによりもあなたが大切』のメッセージに決まってるのに。

頭ではわかっていたはずなのに、行動が伴っていなかった自分を、わたしは改めて振り返った。

同じ空間にいるだけ、はダメ。

関わっていても『相手本位な時間』でないとその意味は変わってしまう。

今のわたしたちに必要な『愛する』をやってみよう、と思った。

テレビだって一緒に見たい

愛する、という漠然とした言葉をふわふわと心に描いていた昨日までと、『子ども本位の時間を過ごそう』という具体的な目標を持って過ごした今日。

早速、子どもに変化があった。

日中を子どもとの遊び時間に当て、夕方のテレビタイムも途中まで子どもと一緒に観た後、夕飯の準備に立ったわたしに、ほんの少しの時間一人でテレビ(好きな番組の録画。今までに何度も観ている)を観たあと息子は(番組が終わらないうちに)『この番組、ひとりじゃみられないんだよ!』と叫んだのだ。

初めは『あれ?この中で苦手なシーンでもあったのかな?』と思いながら、作業の手を止めてまた一緒にテレビを観た。

終わった後に、「どこか嫌いなところ、あった?それとも一緒に観たかったの?」と尋ねたら「いやなとこなんてないんだよ。いっしょに、みたいんだよ」との返事。

彼は今までも「一緒に観たい」と言うことはあった。でも、なかなかその思いに応えないわたしに(おそらくは徐々に諦めてまたは我慢して)言わなくなっていたのだと思う。

そして今日のわたしに、何か自分の想いに応えてくれそうな気配を感じて、強く主張したように思えた。

何のことはない。

頭で考え過ぎて、シンプルな子ども本人からのメッセージをそのまま受け取ることが出来ないでいただけだった事に気付かされた。

正しい愛し方なんてない、いまの私たちに必要な愛し方を問い続けるだけ

今このnoteは、息子が眠った後の時間を使って書いている。でもわたしは昔からから、人より長い睡眠時間が必要な体質だ。

もしこれからずっといつまでも、子どもが起きている全ての時間を、今日のようにに過ごすと思ったら、やっぱりそれは無理が出る。

そんなの無理!って放り投げるだろう。

ただ、きっと『愛』は充電できるものだ。

それを発達心理学では『安全基地』と呼ぶらしい。

子どもは、安全基地を確保して安心感を得て初めて、外の世界を探索に行けるという。(安全基地は、子どもによって選ばれた一人の養育者がその役目を担うそう。多くの場合、母親が選ばれるけれど、環境によって父親やその他の人もなり得る。)

いつも心に『どのくらい子ども本位の時間を過ごしてるか?』を問いかけながら過ごすことで、息子の中にきっと今ある不安感がいずれ薄れて欲しいと思う。

本来もっと幼い頃に出来ているべき安心感を、その時のわたしは作ってあげられなかった。

でも、『いつからでも』やり直せるのだ。(その道のあらゆる専門家もそう言っている。)

わたしが晴れて『安全基地』になれた時、彼の視線はもっと広い世界に向かうだろう。

その時に必要な『愛する』は、また今とは違うはず。

ただ『相手本位で』の部分はきっと普遍だ。

マニュアルなんてない。

いまのわたしたちに必要な愛し方ってなんだろう?

そうやって問い続けるしかないのだと思う。

それをいつも、いつまでも問い続けられる人でいたいと思う。


2019.4.26追記

このnoteに書いたことを続けた結果、感じていることを自分のブログにまとめたので、こちらも読んでもらえたら嬉しいです。↓








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ヒロタ

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