ノイノイおじさんになる前の飼い猫ノイノイ写真集

画像1 2004年7月、1歳でうちに来た。人からもらった。
画像2 ジオが大好き。
画像3 力ずくだから嫌われていた。
画像4
画像5
画像6 2013年、イカリがくわわり、3猫に。
画像7 最初はシメていたけど、イカリのシェルターで学んだ処世術によりまるくおさまる。
画像8
画像9
画像10
画像11
画像12 3匹集合写真はめずらしい。
画像13
画像14 若いころのフサフサピカピカノイノイもかっこいいけど、
画像15 最後のころの、年老いて毛が短くなり、病気で小さくよろよろになっても、堂々としているノイノイ、かっこいいぞ。 ここからは亡くなるころの写真です。
画像16 亡くなる前日までトイレに行った。寝床でしてしまうこともあったけど。気力はあった。
画像17 ノイノイの殿様椅子。ここに乗ったら何か美味しいものを出せってこと。日に何度も乗り、その都度出した。ごはんの支度を、この椅子に乗って待ち、一番最初に食べた。殿様だから。下の者たちは下で待ち、下で食べた。
画像18 だんだん高い所に上れなくなり、椅子に上れなくても、ちょっと高いところに乗っていた。殿様の気力。
画像19 亡くなる前日まで、この座布団に乗って威張っていた。ごはんを出せと言い、みんなに見せびらかして食べていた。
画像20 亡くなる日の朝。立てなくなってしまったけど、食べた、、!こんなに気合の入ってる猫見たことない。さすがボス猫。かっこいいぞ。ノイノイは、尿路結晶膀胱炎からはじまり、初期腎不全の数値になったのが2013年。2019年12月まで、6年も気合いで長持ちした。
画像21 貧血でか尿毒症でか、ヨダレが出て気持ち悪そうでかわいそうだった。ノイノイはもう骨と皮で、私は失敗してもう注射が出来なくなっていたのだけど、最後の朝、お守りでもらっていた吐き気どめのセレニアを、奇跡的に打つことに成功した。亡くなる夜は、ヨダレが止まっていた。気持ち悪さが少しましになったのだと、それだけはほんとうに良かった。
画像22 秋からはホモトキシコロジーで持ち直したのだけど、治るわけではない。でも腎不全にホモトキシコロジーは、本当にやってよかったと思う。ノイノイは、尿毒症で死んだのか、腎性貧血で死んだのか、わからない。点滴の水分も吸収出来なくなっていた。発作がなかったから、貧血が死因なのかもしれない。もう全体的に身体が限界だった。
画像23 亡くなる30分くらい前。
画像24 のぼりんのいるあたりに枕を置いて私は寝てしまっていた。ふと、のぼりんが鳴いて騒ぎだして起きた。ノイノイおじさんが行ってしまうよ!と私を起こしてくれた。のぼりんが鳴き、応えるようにノイノイも鳴き、私も、ノイノイノイノイノイノイと言い、3名で声を掛け合った。くるしい死にたくない死にたくない死にたくないと言っているのだと思うと、私はつらくて耐えられなかったせいか意識が5分飛んだ。起きると、ノイノイは息を引き取り、のぼりんも静かになっていた。
画像25 亡くなる時のことが書けなくて、ずっと記事に出きませんでした。12月12日からもう3ヶ月かー、1212...?逆から読むと、ニイニイ... ノイノイ!?!? あのこ最後まで目立とうとしてたんだな、、 私の自慢のノイノイを、SNSなどで見続けてくださり、応援してくださった皆さま、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?