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回り道してきたことって、意味づけできる?

Voicyでたけかおさんが「声の履歴書」を発表されていたのに刺激を受けて、私も、誰に聴かせるでもない「声の履歴書」をボイスメモで録ってみました。具体的な社名とかを出しているので、スタエフでも公開する予定はないですが、口に出してこれまでの仕事を振り返ってみることで、色々と気づきがありました。
・スキル、という点で、あれをここで学んだ、あのスキルはここで学んだ、みたいのはあるけど、もっと大きな、「その仕事をするうえでの心構え」とか「大まかな流れ」みたいなものを体系だって学ぶ機会は無かったな。その場その場でやってきただけ。
・あとから振り返ると、「もっと効率的に、そのスキルを身に着けることができたんじゃないか?そして、その分の時間を、他のスキルを得ることに費やすこともできたんじゃないか?」って思う部分がある。

結構、どちらかというと、「(今の自分から振り返ってみれば)もっと上手くやれたんじゃないか?自分。」っていうような感想が多く浮かんできました。

で…。
よく、「回り道でしか見られない花がある」とか「全ての経験に意味がある」とかいうけど、「完全に、無駄な時間過ごしたなコレ」っていうような気持ちって、どう昇華したらいいのかな~って、思いました。
ゆっくり、ゆっくりと、本来もっと早く身に着けられるスキルに時間を使ったことで、私は何を得たのか?うーむ。。

そんなことを思いながら、今日の夕飯。
小1の子が、食後のデザートのヨーグルトを、スプーンでなく、お箸で!食べていました。自分で小さいスプーンも持ってきていたのに、「なんでお箸で食べてるの?」と聞いてみると…。
「このほうが、ゆっくり、味わって食べられるから。」と。

なんだか、その言葉を聞いて、今日もやもやしていた気持ちが、少し晴れていくような気がしました。
スキルを身に着けるのは遅かったけど、その分、ゆっくり味わっていたのか。
そう考えると、そうかもしれない。

まだまだ、「うまくやれたらよかったな」的な気持ちが完全に消えたわけではないですが、もたもたしてたことも含めて、今までの自分の歩んできた道が、全部、「こういうことかあ!」って、つながっていく日が来たらいいな。

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