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非言語コミュニケーションとか、真心とか。

うちの子が、とっても苦手な大人がいまして。
家族ではないんですが、結構頻繁に接する人。
その人のこと、私も正直いって苦手で…。
なんか、子供の気持ちが分かる気がするんです。
ひとことでいうと、「威圧的」。

監督する立場の人に、その人とあまり接しないようにできないか、この前、頼みに行ってしまいました。

言葉遣いは丁寧なんですよ。子供に対しての声掛けも、そうだな、文字起こしして検証したら、かんぺき100%間違ったこと言ってない。口調も、ゆっくり穏やか。

なのに、なんで威圧感を感じるんだろ?
たぶん、「心の底」が透けてみえてるのかな、って思うんです。
大きく子供に接する仕事として「教育者」とくくるならば、「この子の良いところを伸ばして尊重してあげよう」というよりは、「この子はここができてない。こういう特性が、困らせている。ここを『穏やかに』矯正してあげないと」みたいな、上から目線というか矯正者目線というか。
親に対しても、「親っていうのは、特に女親っていうのは、過度に感情的になるものだ。『穏やかに』子供の問題点を話してあげて、認識を改めさせてあげないと」みたいなね。
頭の中に「自分の説」が出来上がっていて、絶対にそれは崩さない、みたいなね。

…どんだけ苦手なんだ、私(笑)。

逆に、そのことを話しに行ったとき、監督する立場の人の「真心」も、透けてみえました。「この人は、心の底から、状況を知りたいと思ってるな」「子供の良いところを伸ばしたいと思ってるな」「親の考えを知りたいと思ってるな」って。

こういうの、「非言語コミュニケーション」って、いうんですかね?
私はコミュニケーションの専門家でもなんでもないんで、分からないんですが、監督者の方と話した帰り道に、この違いはなんなんだろ?と考えてたら、その単語が浮かびました。
表情、まなざし、なのかな、主に。それで心を読み取るんだから、人間って面白いですね。

自分も、人と接するときに「真心」が伝わるように、日々心掛けていこう、と思いました。


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