期待と信頼

人に期待や信頼をおいていないのではないかと常々思うことがある。

<期待について>

例えば育成がわかりやすいけれど、自分のジャッジとして得意分野じゃ無いであろう分野において人に期待をするのが苦手だ。

人の得意不得意を見極めるのは、得意だと思ってる。だからこそ、不得意だとジャッジした領域で頑張る人に対して、大きな期待を寄せずらい。

もっと楽に活躍できるフィールドがあるのだから、そっちにいったらいいのに。そんなことを考えながら見てしまう。

これは何故だろう。

ストレングスファインダーによれば、私の一番強いつよみは最上位志向。要するにより完璧、より上位を目指したい志向だ。ただ、これは競争心とは違って(競争心はちなみに最下位近い)あくまで自分の中での主義みたいなイメージだ。

で、実際他人に対してもその人の長所を見抜くのが得意だと定義されている。

キャリアアドバイザーをやっていても、着地どころやうかりそうな業界、業態、企業がある程度イメージできてしまう(現場では占い師と呼ばれていた)。

無論、全部当たったわけでは無いけれど、そのあたりのマッチングの正確さと、そこにクライアントを導くトーク(論理感情の両面)が自分のキャリアアドバイザーとしてのコアコンピタンスだったと思っている(後者はただの付属品ぐらいの意識だけど)。

ここでわからないのは、どういうロジックで着地できそうな世界を見抜いているのかは、自分でも不明。

つまり。人の長所はわかっても、何故それが長所なのかはわからないし説明できない。具体的な行動とかからジャッジしているというより、「見た目」とか「雰囲気(もっといえばオーラ)」みたいなところでジャッジしている節はある。でも、それ以上詳細は不明だsい、この説明で納得する人はそういまい(だからこそ信頼関係を構築する技術とマインドには重きを置いてカウンセリングに臨んでいたわけで)。


育成という話に戻るとすると、今やっている業務において、その人がその先伸びていくイメージができないと、どうしていいかわからなくなる。

※ちなみに精度としては、この子は爆発的に伸びそうだ、この子は堅実に達成まぎわぐらいまでは伸びそうだ、というレベル感でジャッジしている(無論1回2回のまぐれはあっても、1年単位でならしたときの成果の話)。

だから、この先伸びないだろうなーという子はどうしていいかわからなくなる。ある程度人物面をしっかり見る選考の結果入社しているので、程度の差はあれ頑張る人は多い。真剣だし、真面目だ。でも、適性の差は如何ともしがたい部分もあって、入社3年以内くらいでの成果(ひいては評価、お給料、昇進とか)に如実に関わってくる。もちろん、それを超えてこつこつやれば誰でもできる仕事だとは思うけれど、人間毎月未達で頑張れるほど強く無い。だいたいが辞めてしまう。

人に期待していない、という文脈で書いてきたけれど、「得意分野でない子だから将来に期待できない」のか、「人に期待していないから得意分野でない子の未来を信じない」のか。

どっちなんだろ。

後者かな。

いまあるカードの中でジャッジしているので、カードが増えたり変化したらジャッジは覆る可能性がある。でもそれをしようとしない。

こう見えて真面目なので、不得意な子に対しても全力で伸ばそうとはする。そこに手抜きはないと思ってる。でも、不得意な子は大概その分野における思考が苦手で、その思考方法からインストールしなければいけないことが多い。

そこがわからない。すでにインストールされている人や、フレームを理解できる人はともかく、存在しない思考回路を教えることがすごい苦手だ。


ああ、唐突に思ったけれど、人に期待云々じゃなくて、人が変わることについて懐疑的なのと、自分が少なくとも思考回路のインストールを手伝ってあげることへの苦手意識があるんじゃないか。

自分が介在することで人が変わったりなんかするもんか。と思ってそうな気がする。

自分自身に置き換えてみれば、人から何かしてもらってできるようになったことなんてそんなにないと思ってるのかもしれない。もともとある思考回路を磨いていっただけだと。めっちゃ傲慢。


ひとは基本的にかわらない。

変わらないのは思考回路とか信念みたいなレベルの話。

ただ、武器(引き出しともいう)は変えたり増やしたりできる。ただ、その武器の好き嫌いや持てる・使えるキャパは「変わらない」思考回路や信念に影響されている。


RPG的にいうなら、ジョブは(進化することはあっても)大枠できることできないことは決まってる(剣士は魔法は使えない)。

で、プレイヤーとしては強い武器とか防具とか手に入れられるんだけど、どれだけレベルをあげても魔法使いに伝説の剣は装備させられない。魔導の杖系統だけ。逆も然り。

(何か具体的な作品を思い浮かべているわけでは無いので、ここでは一般的なイメージだと捉えてほしい)

そんな風に人を見ている気もする。

ナックラーはどう頑張ってもメガシンカできないのだ(が、そんなことはどうでもいいぐらいフライゴン系統はかわいい。異論は認めない)。


これはなぜだろう。

そして、構成主義の名の下キャリアに向き合うものとして、致命的な欠陥な気がしてならない(キャリアとは本人が自ら編み出していく物語であるという感じの立場なので・・。)

なによりこれから育成部隊に行くんだけどな・・・。


なんでこんな考え方になっちゃったんだろ?


んー。

中高生ぐらいのころか、もっと小さい頃か、誰にも理解してもらえない、と思ったのが原体験なきがする。

親も含めて、自分の好きな世界や面白いと思うものについて、誰にも理解されないと思った経験がちらほらある。

だから、彼岸と此岸のようなイメージで、そっち側には迷惑はかけません。だからこっち側にも来ないでください。無理に覗かないでください。貴方達の言葉で評価しないでくださいって思い始めた気はする。


なんどかたぶん橋をかけようとしたけれど、自分の未熟だったし、向こうもその気がなかったか、器が足りなかったかそのあたりでうまく橋はかからなかったんだと思う。

その上おそらく傷ついたんだろう。

だから、人が変わって自分の好きなものに興味を持ってくれることなどないと思った。

よって人は変わらない。生まれてある程度育った環境で、「キャラクター」が作られて、そこからは逃れられない宿命にある。そんなニヒリズムを持っているのかもしれない。


原因論でここまで考えてきたけれど、これを目的論に置き換えるとどうだろう。


人は変わらないという言説をとっている私の目的は?

人が変わって成功していくことへの妬みとか?

プレイヤーとしての地位を脅かされる怖さ?


あー、うん、あったかもしれない。なかったといえば嘘になるかも。苦労して苦しんでる人がいるから、自分の地位や能力が良いものに見える。

そういう目的論で人は変わらないから期待しても無駄と切り捨ててきたのかもしれない。

そこには劣等コンプレックスがありそう。


何かで優秀さを自分や周りが認知し呼応してくれていないと、不安になる。

優秀でなければ存在意義がない。極論だけど。


アダルトチャイルドを振り返る過程で自分を縛っていたルールと似ている。

優秀であるべし。

周りから褒められる存在であるべし。

人より劣ることは恥ずかしいことと心得るべし。


そういう意味で、プレイヤーとしての承認欲求を外され育成に専念できるようになるのはいいことかもしれない。

最初は死ぬほど承認がほしくて苦しいだろうけど、いつか素直に人の成長を喜べるように自分のなかの子供が浄化されていく可能性もある。

あれ、これって人が変わるってことやんね?


人の可能性には期待したいんだ。

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