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赤白の鉄塔の中で受肉を願う人型たち

東京タワー

東京都港区芝公園4丁目二番地八号

2000.7

 

 東京タワーは赤と白の鉄骨で組まれた、日本一有名な電波塔でした。1959年から、その役目を東京スカイツリーに移行するまでの約60年間、情報をのせた電磁波がこの333メートルのアンテナから発信され続け、関東平野ほぼ全域のテレビがそれを受像していたのです。そういえば、ここのてっぺんから飛び降りたふたりの子供がおこす奇跡を描いたマンガ「わたしは真吾」のことを、私たちは大好きでした。

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わたしは真吾

 1999年の世紀末。コンピューターが誤作動し、世界中で重大な出来事が起こるともっぱらの噂でした。「2000年問題」です。別名「Y2K(Year 2000 problem)」或いは「ミレニアム・バグ」。当時のコンピューターは西暦を下2桁で処理しており、1999年から2000年、つまり「99」から「00」に変わるタイミングでデータベースの順序が狂ってしまうので、世界中のコンピューターにトラブルが発生。それが未曾有の大災害をもたらすのではと、メディアでもしきりに報道されていました。当時私の勤めていた広告制作会社でも、それを意識した社内コンぺがあり、「わたしは真吾」に出てくるようなことが起きたらどうしようと半ば期待しつつ、2000年問題・通称「Y2K」の啓発ポスターを私も徹夜で作ったのです。ところが翌年の元日、目が覚めても、少なくとも自分の周りは拍子抜けするほど何も変わっておらず、TVを見てもY2Kは起きていませんでした。コンペには落ちましたが。そして、いつの間にか夏が来ていました。

 2000年7月の晴れた日曜日。私はK子と、K子と同じ会社にいたF野と3人で、東京タワーへ行く計画を立てていました。目当ては、東京タワーの真下に「おもり」として設計された5階建ての商業施設「タワービル」。そこにはだだっ広い土産売り場や、さびれた水族館、そして、自分たちの生まれ年とほぼ同時期の1970年に開設された、蝋人形館。日本一巨大なアンテナが電波を発信し続ける足元で、蝋で作られた人形がひしめき合い、見せ物の拷問部屋や、よく知らないドイツのミュージシャンもいる。私たちにはモヤモヤした期待がありました。

 「猫キャット」と名のるモノ好きは私とK子だけですが、仲の良い女友達はUちゃん以外にF野もいました。初めて会ったのは1991年か92年。女優の鈴木保奈美が大きなニットをブカブカのパンツにインしていて、ビル・クリントンがアメリカ合衆国の大統領になった頃。90年代初頭のその日、同じ大学に通っていたK子と私は、共通の友人に誘われ、そのボーイフレンドのバンドを見に王子にあるライブハウスに行ったのです。寒い日でしたが、会場には60・70年代風に装った若い客が結構いました。バンドは確か、ジェイムス・ブラウンやアーチー・ベル&ザ・ドレルズなどを演奏し、合間にDJが音楽をかけ、それが朝まで続くのです。ミソっかすの私たちは次第に退屈し、コンビニでホッカイロとピザまんを買って出入り口の喫煙所でたむろしたり、そのへんを徘徊したり。

 真夜中すぎ、私たちは入り口わきの階段下、ゴミ置き場に積まれた黒いビニール袋に埋もれ、写真を撮って時間を潰していたのです。私は数日前に大学に捨てられていた古いマネキンから、黒いビニール製のパンプスを引き剥がし履いていました。そのパンプスはマネキンと台座をつなぐ支柱が貫通していたので、底に大きな穴が開いていて、スースーと冷たい風が入ってくるので、膝を抱えてしゃがみ込んでいたのです。突然、階段の上から、喫煙所に置いてあった重たいスタンド型の灰皿が、けたたましい音を立てて落下してきました。灰皿には消火用の水が入っていて、ヤニ臭い腐った茶色い液体も、飛び散りながら落ちてきます。上で、ベーシストの女の子が泥酔して灰皿ごと蹴飛ばした様子。下に人がいると気づいたのか、慌てた声。あたりに臭いが充満し、茶色い液体もかぶってしまった私たちは、寒い駐車場に飛び出すと、隅にあった水道で仕方なくコートについた汚水を洗い流したのです。その時、そばの車の影でバンドのメンバーと一服する、黒いパンタロンに豹柄コートのF野と出会いました。

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汚水をかぶる直前

 F野は、とある大学の芸術学部で写真を専攻していて、高円寺在住。私たちがF野といると、K子とF野は似ている、と周りから言われました。確かに二人とも青白く、しっかりした骨格で化粧っ気がないなどの共通点があります。ヘビースモーカーのF野はピースを吸っていて、髪は明るい茶色。映画「コールガール」のジェーン・フォンダのような短いウルフカットが似合っていて、ひとつ年上でした。派手で奇抜な古着が好きで、中央線沿線の古着店やそこに出入りするバンドマンにも知り合いが多いよう。F野の部屋は混沌としていて、大量に買い込んで、封も開けず積み重なった古着や、古い漫画本、レコード、エレキギター、ゲームソフト、その他たくさんのもので溢れかえっていましたが、よくよく見ると、それらの角という角はきちっと揃えられ、混沌の中にも独自のルールがあるのが垣間見えました。同じように持ちものは多いけれど、中央にがらんとした理想空間を作るため、何でもかんでも押し入れに、生命が誕生するくらい有機的に詰め込み、黒電話ひとつと洗剤にまみれたボーリングの球とゴキブリだけが転がっていたUちゃんの部屋とは、ある意味対照的。違う方向性ではあるけれど、この二つの混沌を抱える部屋の近所には、偶然ですがどちらにも高い鉄塔がある。私は、ある一定の強い電波を浴びることと、ものを混沌と収集してしまうことには何か因果関係があるのではと、当時真剣に考えたことがあります。かくいう私の家の近所にも、やはり鉄塔があったのです。 

 F野のいちばんの特徴はゲームが好きなこと。K子も相当やりますが、時々、突然興味を失って、そのまま忘れてしまうので、いいところまでプレイしてやめたものがいくつも寝かされている。F野の場合、寝食を忘れて部屋に籠ると、これ以上できないところまで徹底的に終わらせてしまい込む。でも2人とも数十年経って、もう誰もやっていないそのゲームを再び取り出してやり始めるところなどは、やっぱり似ていたのでした。

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Klute(1971)Jane Fonda

 2000年になるとK子とF野は、都内のゲーム会社でバグ探しの仕事についていました。そして私は2000年問題が過ぎ去ってもまだ、東京タワーが気になっていたのです。

 どうして電波塔の下にある蝋人形たちが魅力的に感じられたのか。それは、鉄骨で組まれた結界の中で佇んでいる蝋人形の体内には、大量の情報を含んだ電磁波がかけめぐり、無機物の中に生命がふと宿るきっかけをいまや遅しと待っていたからです。人類が未だ経験したことのない西暦2000年のバグは、私の周りでは特に何も起こりませんでしたが、東京タワーに行けば別の結果を見ることができるかもと期待していたのです。

 後日、蝋が電気を決して通さない材質だと知りました。蝋人形を初めに作った人も、うっかり受肉してしまうのを避けるため、その素材を選択したのかもしれません。


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ひときわ目立っていた巨大な半球状の水槽と上下2段に分かれた水槽

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下から覗き込むF野



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水槽のあっち側でひとつ目巨人のようなF野

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海キノコ



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蝋人形館の看板 いつ貼られたのかわからない新着情報


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Keith Emerson

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 Tony Iommi    Ritchie Blackmore   James Hetfield Peter Gabriel


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Ian Anderson Jimmy Page Robert Fripp


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Don Preston Frank Zappa


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Faust


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Mani Neumeier

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Manuel Göttsching


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Klaus Schulze


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Jimi Hendrix


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広大な土産売り場の詳細不明のキーホルダー


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ソフトクリームを買うF野



映画「コールガール」

https://www.amazon.co.jp/dp/B07QNMDV5K/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_57ASTATCZ2Q9HWB7QBSS


「わたしは真吾」

https://bigcomicbros.net/work/6386/


東京タワー

https://www.tokyotower.co.jp







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