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ラブライブ!スーパースター!!2期までの感想【ネタバレ】 #Lovelive #Liella

【初めに:私のラブライブシリーズ認識】

 私はラブライブアニメ全般に詳しいわけではない。歴代シリーズ視聴分といえば、(今回の記事の題目たる)Liella2期分完走を別としたら、初代無印(μ's)1期12話鑑賞と、サンシャイン、虹ヶ咲1,2話をざっと流し見程度だ(蓮ノ空はスタイルが違いすぎるので未だ軽く眺めたぐらい)。

 正直言って、無印、サンシャイン、虹ヶ咲の3作品のいずれもがピンと来ず、視聴取り止めとなった(μ'sは2期を観ていないし、サンシャイン、虹ヶ咲も3話以降の続きを観る気が起こらない)。

 Liellaももし合わないと感じたなら即座に視聴中止して、今に至るまでラブライブとの積極的な関わりは無いままだったろう。

 そんな私にLiellaの何が訴えかけてきたのか、以下作品感想に託して触れてみる。

【Liella個々人事情の作品特質】

 ラブライブ!スーパースター!!1期初期メンバー5人の個々それぞれがコンプレックス、背負うものを持ってスクールアイドル活動に向かい合うこととなる。そのうち1話時点で明かされるのは澁谷かのんの「歌が好きなのに人前で歌えない(さらに、それが理由で音楽科を落ち、音楽自体やめようかというところ)」ということだが、それが私に非常に迫って感じられた。

 μ'sのように廃校を阻止しようというのでない、サンシャイン、虹ヶ咲のようにスクールアイドルに惹かれたからというのでない(もちろん、いずれもが個々人それぞれのスクールアイドルへの向き合い方があるが、Liella初期5人のように全員が個人的事情に根ざすわけではない)。

 唐可可はラブライブで結果を出さなければ帰国、平安名すみれは主役機会を逸し続けてきたことへのトラウマ、嵐千砂都は幼馴染かのんちゃんを真に支えるための自立した強さ、葉月恋は結ヶ丘女子高等学校設立に関わった母の遺志の継承――

 5人それぞれが各人各様の事情と思いでスクールアイドル活動――Liella――ラブライブ――に向き合い、その過程でコンプレックスや心の課題・重荷が焼き尽くされていく熱いドラマが形成されている。

 全員が個人的事情を抱えているため、時にLiellaの仲間内メンバーでさえ深奥に干渉しようもないソロドラマが展開されることさえあり、作品にストイックの基調を与えもする。

 作品物語全体の強固な軸を求める私にはスーパースターのこうした作品性質が極めて性に合った。

【1期の作品評価(衆評)について】

 1期の作品の質に関して、「面白いのは3話までだ」「6話までだ」という感想を散見する。7,8話の葉月恋物語に無理を感じるのはスーパースターファンからアンチまでの共通見解として、ではそれ以降はどうなのか?

 9話は『Liella』命名回として、物語としてはテンプレで“無難”な作り止まりだったが(ただし、先に挙げた、5人それぞれがスクールアイドル活動に向かう個人的事情を抱えているあたりと考え合わせた時、澁谷かのんの言う、「結ぶ」の意味合いはさらに強固な説得力を持つだろう)、10話の平安名すみれのセンターコンプレックス克服、11話での澁谷かのんの真の意味での歌唱(独唱)コンプレックス克服は個々回としてのインパクト・メッセージ性の強さからも、作品全体を貫く個人物語解消観点からも決して蔑ろにして良いものではないだろう。

 そして12話。人前での歌唱を克服したことにより、「自分(me)が楽しむ」ことに満足感を覚え、勝敗のために歌うことに疑問を抱き始めた澁谷かのんだが、「同級生(you)が強い期待を持ってステージ設営を頑張り、応援してくれた」にもかかわらず、サニーパッションに敗北を喫したことにより、「歌は自分だけのものじゃない(all)」と悟らされ、感動的な「Song for me! Song for you! Song for all!!」に着地する、極めて熱量の高い結び。

 7~8、さらに9話をどう見るにしても、10~12話を等閑視して良いとはとても思えない。ここらから「評価できるのは3話まで」「6話まで」論はとうてい肯んずることができない。

【2期】

 2期の評価は全体に低調である。ファンでも1期を超えて評価する層はそう多くないように思われる。

 やはり1年生組4人の魅力や、何より存在必然性が問われるところだが、先に触れてきたような、初期5人(今や2年生!)ほどの強い個人的事情を持ってスクールアイドル活動に飛び込んでいないところに起因するだろうか。ただし、2年生先輩(Liella初期5人)の足を引っ張らないようにと一時はライブを辞退しかけ、さらには猛特訓に向かうあたりは1年生ドラマならではだろう。

 2期後半は勝負のためにラブライブに臨まんとするウィーン・マルガレーテと、それを諭す澁谷かのんの対応関係が主軸となっている。

 「歌で勝ち負けを競う」ことに疑問を感じながらも最後にそれを痛感させられた1年生の翌年、スクールアイドルとしての歌を「勝負のみ」と看做すウィーン・マルガレーテにその過ちを「勝利によって」諭してみせた1~2期の流れは弁証法的と言えるだろうか。

 澁谷かのんの留学がラストで取りやめになったことに関して、熱心なファンからも茶番を感じる声が上がったが、3期で明かされる事情とその後の物語次第だろうか。夢を取るか仲間を取るかの物語としては良かったと思うが、(最近一気見した私と違い)次の放送まで待たされたリアタイ勢が幻滅する展開というのもわからないでもない。

【クゥすみ、すみクゥ】

 1期後半~2期全体に渡って唐可可と平安名すみれの2人がお互いの絡みばかりになってしまったのは極めて残念。脚本の雑さを感じてしまう。1~3話で澁谷かのんの歌にあれほど入れ込んでいた唐可可はどこに行ってしまったのか。

【話数について】

 これは特にスーパースターに限った話ではない。さらに言えば、ラブライブに限った話でもない。

 1クール12話の尺である程度の人数を扱う物語を描く場合、どうしても初めの仲間集めに大半の話数を取られ、またドラマもそうしたメンバー加入物語に主軸を置きがちである。Liellaは5人という少人数編成だが、それでも話数の弊害を受けた印象は否めない。2期での新入生4人加入に関してもそうである。

 2期7話の葉月恋のゲーム物語のような余裕を持った“遊び”回が極めて少なく、それゆえ各キャラの掘り下げが十分になされないのは(各)1クールに縛られてしまうアニメ全般の枷だろう。

 可能不可能は別として、スーパースターも1期、2期それぞれ各2クール24話ずつあれば、キャラ・設定の良い素材を存分に引き出せたろう。

【終】


 勢いで書いた雑文で、いずれ手直しをするかもだが、ここでいったんラブライブ!スーパースター!!の感想を終える。

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