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【芸人vsYouTuber】粗品の「YouTuberは面白くない」は本当なのか。

霜降り明星の粗品は千鳥の大吾がMCをつとめる「酒のツマミになる話」で、ある問題提起をする。
「YouTuberは面白いのか」
粗品の答えは「YouTuberは全員面白くない」というものだ。
この問題提起に「自分が見た動画では」という注釈付きではあるが千鳥の2人も概ね同意した。
公然とは言わないが、おそらく、このように思っている芸人は多いだろう。
芸人たちが言う「YouTuberは面白くない」は本当なのだろうか。

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千鳥の大吾はYouTuberと芸人の違いとして、「ワシら(芸人)は舞台に立ってたやん。あれって、千鳥だけを見に来てないじゃないですか。違う芸人を見に来てる人を、ワシらは笑かしてた、が基本あるけど。たぶんあの人らは、自分だけ見に来る人を笑かしにいくから、笑かし方の戦い方が違うというか。それを見てる奴はおもろいんやろうけど、ワシらから見たらおもろくはないかな…っていう」と言う。
ファンであろうとなかろうと「笑わせる技術」がなければ、芸人は芸人たり得ない。だから芸人は人を笑わせる技術をみがくが、YouTuberはファン以外の人を笑わせる必要がないため、笑いの能力は低いという意味だろう。
これには、相応の説得力がある。
そして、ほとんどのYouTuberも同意するだろう。
なぜなら、YouTuber自身は「俺たちは芸人より面白い」と言ったことがないからだ。
逆にトップYouTuberのヒカルはことあるごとに「YouTuberで面白いやつは誰もいない」と言う。
つまり、YouTuberたちも自身の話の面白さ、芸のスキルが芸人より上だという認識は全くないのだ。
では、YouTuberは芸人より面白くない、芸人もどきの素人なのだろうか。
私は芸人とYouTuberでは「面白い」の種類が違うと考える。
そして、結論を先に言えば、現在、YouTuberは芸人より圧倒的に「面白い」と考えている。


YouTuberの「面白さ」とは、トークスキルや大喜利、コントなどの芸の面白さのことではない。
トーク能力もコントなどの芸の面白さも圧倒的に芸人が上だ。
当たり前のことだが、芸人は話や芸で人を笑わせることが仕事だからだ。
では、YouTuberは何で人を笑わせ、そして、時に感動させるのか。
それは「生き様」だ。
YouTuberは動画に人生そのものをうつしだす。
なぜなら、そうしなければ濃いファンはつかないし、ネタも続かないからだ。
自分の着ているもの、住んでいるところ、食べているもの、交友関係。
その全てを晒して、やっとその人となりを好きになったファンがつく。
もちろんミステリアスが売りのYouTuberもたくさんいるが、トップになればなるほど、人生そのものををさらけ出している人が多い。
彼らがやっているのは、自分の人生のエンタメ化だ。
時にそれは、炎上というエンタメにもかわり、彼らは黒いスーツを着てファンに謝罪する。
それは、もはやYouTubeの伝統芸能のようになっている。
山あり谷ありの人生そのものをファンは楽しみ、彼らのことを「面白い」と思うのだ。
それは、彼らの話のスキルや芸を「面白い」と思っているのではない。
彼らの人生を「面白い」と思っているのだ。
そして、彼らの強みはもう一つある。
彼らは、芸人と違ってタブーがない。
なぜなら、彼らは事務所の社員ではなく、個人事業主だからだ。


「いやいやYouTuberも大手の事務所に所属してるでしょ」というご意見もあるだろう。
それはその通りだが、YouTuberと芸人では、事務所との関係が全く違う。
例えば、粗品のいる吉本興業の芸人たちは、吉本興業から給料をもらっている。
つまり、吉本の社員である。
ゆえに、彼らは吉本を公然と批判できない。
批判すればどのようになるかは、宮迫博之や加藤浩次を処遇を見ればわかるだろう。
両者ともとてつもない人気があったのにもかかわらず実質的に解雇された。
宮迫にいたっては、現在にいたるまで、テレビ界から完全追放されている。
しかし、YouTuberはそうではない。
たとえば、ヒカルは以前所属していたVAZをことあるごとに公然と批判している。
また、がーどまんは所属する事務所の税理士が杜撰な会計作業をしていたと暴露した。
なぜ、彼らはそんなことができるのか。
それは、彼らが事務所から給料をもらっているのではなく、個人事業主として自身が稼いだ金額の一部を事務所に支払っているだけだからだ。
つまり、事務所と彼らに上下関係はなく、対等なビジネスパートナーなのだ。
パートナーだからこそ、彼らは事務所に過度に忖度する必要はない。
なぜなら、事務所をやめてもファンは消えないし、YouTubeのチャンネルが消えることもないからだ。
むしろ人気YouTuberに辞められて困るのは事務所の方である。
企画、撮影、編集、すべてをやるYouTuberは基本的に1人で全て完結している。
事務所にしばられることのない活動をできるからこそ、彼らにタブーはない。
唯一のタブーはGoogleが定めた規約に作成した動画が違反していないかどうかである。
それだけを気にしていれば、発言で誰かに忖度する必要はないのだ。
そのことで、彼らは芸人よりもはるかに過激な企画することができる。
例えば、ヒカルは松本人志の報道がでた直後にグランドハイアットで飲み会をしてると言って誰が集まるか、という企画を行う。

ヒカルは次々に知り合いの芸人たちに電話をするが誰しも「行けない」と断る。吉本に所属していない芸人ですら、決して行こうとしない。
まさに鉄の掟ともいうべき、芸人の不文律だ。
「松本人志の件をネタにしてはいけない」
芸人たちは、松本人志、その後ろにいる巨大な存在(吉本または芸能界)を恐れる。
しかし、YouTuberにその不文律は存在しないし、芸能界の巨大な力に怯える必要がない。
ヒカルから電話を受けたYouTuberのほとんどは、二つ返事ですぐにグランドハイアットに来るのだ。
グランドハイアットに行けない芸人。
グランドハイアットに行けるYouTuber。
本当に「面白い」のはどちらだろうか。


以前、ヒカルは粗品の「YouTuberは面白くない」発言に対して「弱いYouTuber相手に揚げ足とったところでカッコいいかな?って思っちゃう」「芸人のトップに喧嘩売らないのにYouTuberに喧嘩売るのダサい」と言い、粗品自身がYouTubeをやっていることにも疑問を呈する。
そして、言いたいことがあるなら「ビビってないで(ヒカルのYouTubeに)来い」と言い放つ。


もちろん、コラボ動画をしたいというヒカルからのメッセージである。
その後、ヒカルと粗品のコラボは実現していないので、粗品からのアンサーはないのだろう。
芸人には芸人の不文律がある。
しかし、YouTuberにはそれがない。
そのことがいいか悪いかは、観る人の感性によるだろう。
しかし、現在、「生き様」としてどちらが面白く、そして、カッコ良くうつっているかは明白だ。
かつて、ビートたけしは、たけし軍団とともにフライデーを襲撃した。
現在から考えれば(当時も多分)アウトにもほどがあるが、その生き様に誰もが憧れた。
しかし、そんな芸人はテレビにうつる「芸人」の中には、もういない。
少なくとも、会社の社員である「芸人」は生き様において、YouTuberよりもはるかに面白くない。
芸能界のタブーと不文律にがんじがらめになった芸人はテレビを牛耳る巨大な事務所の単なる社員にすぎないからだ。
不自由な社員の人生が自由に生きる個人事業主の人生より面白いわけがない。
YouTubeに真剣に向き合う中田敦彦のような吉本から抜けた芸人だけが、松本人志批判など、「生き様」としての芸人を見せようとしている。


テレビにうつる芸人たちは、そんな中田に、怒るか嘲笑することしかできなかった。
人を笑わせる「芸人」が、一番面白い「松本批判」というネタに大真面目に「これはあかんやろ」「中田(笑)」としか言えないつまらなさ。
ヒカルの言うように、それは一言で言えば「ダサい」。

YouTuberが1人もいないスタジオでYouTuberをくさす放送をして笑っている芸人たち。
かつての映画スターが「テレビなんてくだらない」と言ったような、そこはかとない悲しさを感じたのは私だけだろうか。

以上、「YouTuberが面白くないのは本当なのか」を考察しました。
最後までお読みいただきありがとうございます!