南日本新聞コラム南点第7回「新生活」

 初めての1人暮らしは、下荒田3丁目、路面電車の、騎射場駅のすぐ近くだった。今でこそ「路面電車」なんて言っているけれど、当時は「チンチン電車」と呼んでいた。あの頃は上品なもの、都会的なものに対する抵抗感があったから「路面電車」という言葉を使うのが恥ずかしかった(本来は逆なはずなのに)。もちろんチンチン電車のチンチンは、人や車に対する警笛音がその由来と言われている。

 ごくたまに、天文館に行く時などに乗る事があった。まだ春先なのに、夏のように暑い日だったと記憶している。満員ではないものの、座席はすべて埋まっていて、私は車内の隅っこに突っ立っていた。するとどこだかの停留所から1人のおばさんが乗り込んできた。60代くらいの小柄なおばさんだった。おばさんはパンパンに膨らんだスーパーの袋を提げていて、座席の前に立つと、目の前に座る20代くらいの女の人の膝の上に突然その袋を置いた。私は驚いた。女の人も驚いていた。「替わりましょうか?」おずおずと女の人が言うと、「大丈夫です」と言いながらおばさんはハンカチで額の汗を拭っていた。その時の女の人の、恐怖に引きつった顔が私は未だに忘れられない。

 あれはいったい何だったのか。ずっと疑問だったが、何年もの時を経て、テレビなどで熱中症が頻繁に取り上げられるようになった頃、あの時のあれはそういう事だったのかとピンときた。つまり、あまりの暑さに脳がオーバーヒートしていたのだ。

 その珍事件から数日後、近所の弁当屋で弁当を買うと、店員のおばさんが「おまけしといたから」と笑顔で言ってきた。
 閉店間際だったので、唐揚げかなにかを幾つか余計につけてくれたんだと思い、お礼を言ってウキウキしながら家に帰り袋から出すと、普段は一つしか入っていないソースの袋が、その日に限り三つ入っていた。

 本気だったのかギャグだったのか、あれは未だに判然としない。

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