南日本新聞コラム南点第1回「あなた何をされてる方なの?」

知らない人から、ふいにそう尋ねられたとしたら、自分はなんと答えるだろうか。昨年小説の新人賞を受賞してから、いくつかの場所で文章を書いたり取材を受けるなどしている。そのさい記事の最後やプロフィールに「作家」あるいは「小説家」などと、いわゆる「肩書」が記されるのだが、そのたびに私は戸惑わずにはいられない。というのも、まだ作品が1作しか世に出ておらず、今後それで食べて行けるかどうかも分からない状況で、それを名乗るのはおこがましいような、恥ずかしいような気がしているからだ。むしろ「フリーター」あるいは「無職」としてもらった方が、実像の説明に相応しいのではあるまいか。けれどそうすると読者の方に「なぜこの人はフリーター(あるいは無職)なのに新聞や雑誌に文章を書いたり、取材を受けるなどしているのだろう」と余計な疑問を与えてしまい、肝心の本文が頭に残らない、という問題が生じかねないので、やはり肩書というのは必要なのだろう。
ならばもう早めに慣れてしまった方がいいのではないか。習うより慣れろという諺もあるし、コツコツ経験を積むより、いっそそう宣言してしまった方が、その名に相応しい人物に近づいて行けるかもしれない。
そう考えた私は、おもむろに衣服を脱ぐと、卓上の油性ペンを手に取り、左肩に「作家」右肩に「小説家」と書いてみた(右利きなので左を「小説家」にすれば良かったと若干後悔した)。
風呂場の鏡で目にするたび、最初は違和感を覚えたものの、3日目にはすっかり慣れて、まるで気にならなくなった。それを再び意識したのはその翌日、行きつけの銭湯で服を脱いだ時だった。周囲の人の奇異な視線にさらされた私は、はっとして思わず両手で両肩を隠した。奇しくも女性が胸を隠す時と同じポーズだった。恥ずかしい。やはり自分はまだ恥ずかしい。
どうやらこの肩書に慣れるには、とにかくひたすら場数を踏むしかなさそうだ。

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