男性からしてほしいことを全部自分でしてみた話

一般的に、わかりやすくて派手な感じの、男性からしてもらって嬉しいことといえば、素敵なレストランで美味しい料理をご馳走してもらうとか、宝石など高価なものを買ってくれるとか、素敵な場所へ旅行に連れて行ってくれるとか、そういうことが挙げられるかと思う。

数年前、上記のようなことを全て意識的に自分で自分に向けてやってみた事があった。

それは、2回目の大掛かりな断捨離の後だった。ひょんなことから、高層マンションの上層階に期間限定で住む機会を得た(愛人をしていたとか、そういうやましい理由ではない)。超格安シェアハウス暮らしもしたことがあるくらい住居に無頓着だった私には、全てが別世界だった。

そこは東向きの大きめの窓があり、朝日を浴びながらヨガをするのに最高の場所だった。夜景も綺麗で、窓の真ん前に置いたダイニングテーブルで食事をすると、どんなレトルトでも高級レストランで食べているような気持ちになれた。部屋に遊びにきた友人は、「こんなところに一人で住んでるなんてもったいない、早く彼氏を作りな」と言ってくれたが、結局その期間に彼氏ができることはなかった。

彼氏はできなかったが、そのリッチな環境に身を置くことで、私の中の何かのスイッチは入ったようだった。

普段の生活は質素にしつつ、そのぶん本当に行ってみたかった場所に行き、食べてみたかったものを食べて、それまでは入ることすら躊躇していたようなお店の服を意識的に買うようになった。具体的には、五つ星ホテルに泊まってアフターヌーンティーを楽しむとか、高級スーパーの食材を値段を気にせずに本当に欲しいと思ったら買うとか、そういうことをしていた。

布の質が良くて合わせやすく綺麗に見える服であれば、安売りしてなくてもちょっと高くても買うようにした。そのぶん、ファストファッションの服はあまり買わなくなったし、用もないのに安売り店をぶらつくことはなくなった。

最初は背伸びしているようであまり快適さはなかったし、単にお金の無駄遣いだったと思えるようなこともあったけど、それも含めてとても良い経験になったと思う。私がいいなと思える豊かさの感覚や、自分を大切に扱うことの意味がかなりはっきりとしたからだ。

そのときは、自分の中にイケメン紳士がいるという設定で、自分を一人の女性としてもてなす感覚でいた。単にゴージャスにするのではなくて、自分が本当に喜ぶことを、その都度ちゃんと汲み取りながら選んでいく感じで、私にとっては今までしたどのデートよりも素敵と思えた。負け惜しみで言っているのではなく本当にそう思えたし、逆にいうと、それまでのお付き合いでは、私は自分がどういう扱いをされたら嬉しいのかを意識的には全然わかっておらず、相手に対してもポイントを絞った要望をしてこなかったのではないかと思った。もちろん、それと同時に、「あー、ここに素敵な彼氏もいたら最高なのにな〜」とも思ってもいたが、寂しさはあっても惨めさはなかった。

自分の中のイケメン紳士との関係が確立されるというのは、男性性と女性性の調和ということとかなり近いのかもしれない。私の中でイケメン紳士との関係が確立してからは、実際に現実の男性と関わる時に余裕が生まれた。例えば、高級レストランでご馳走してもらうような場面があっても、自分でもそれができるし、経験したことがあるという自負があると、必要以上に相手やその場に恐縮したり萎縮したり、はたまた必要以上にはしゃいだり、相手に依存したりということがなく、適正な感謝を持ちつつその場を楽しめるようなったと思う。

そして、一般的に男性にしてもらいたい的なおもてなしを自分である程度やりきった結果、男性にそういったおもてなしを期待する感覚がすごく薄れた。もちろん、してもらえたら嬉しいけど、それを渇望しなくなったという感じだ。自分で自分をもてなしきったので、潜在意識に「自分はそういうもてなしを受けるに十分値する人間なのだ」という感覚が刷り込まれたんだと思う。

そして、物事というのは大概、渇望して他者に求めているうちは満たされることはないし、自分の気持ちに余裕があると自然にもたらされるものだと思う。

高層マンション暮らしが終わりに近づく頃、私はその部屋に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。今まで見たこともなかった世界を私に見せてくれてありがとうと素直に思えた。そして、その後のあては特にないけど、またいつかこんな素敵な部屋に住めたらいいなと願い、その部屋と、その部屋にいる時の自分の感覚をしっかり記憶してその場を去った。

その後いろいろあって、結婚後はその部屋にかなり近いテイストの場所が新居になった。日当たり良好な南向きの窓があり、夜景と綺麗な川が見える所だ。そのマンションの前に立った時、すぐに私の中で以前住んだ場所の感覚が蘇ってきたので間違いないと思った。

ところで、夫は私と交際中はずっと割り勘だったし、あまり何かを買ってくれるということもなかった。生活用品も服も質素で最低限しか持っていないし、趣味に散財するということもなく、財布の紐はすごく固い。でも、結婚後は記念日に5つ星ホテルの最上階のレストランのご飯をご馳走してくれてアクセサリーまでくれたり、不動産購入などここぞという時にはがっつり男気を見せてくれた。結婚した今は、無駄なことに全然お金を使わないのも、ちまちまとクーポンを切り取って財布に忍ばせているのも彼の素晴らしい資質だと思っている。

もし夫と出会う前に自分で自分を十分にもてなしきっていなかったら、交際中の彼のあまりの財布の紐の固さに引いて別れていたかもしれない。

きっと、婚活やデートで奢ってくれないのが嫌という人は、「自分をもてなしてくれない=自分の価値を低く見られた」と感じるのが辛すぎるんだと思う。でも、そう感じるのはどこかに「自分は奢ってもらえるくらいの価値がない女性なのではないか」という恐れとか自己価値の低さがあるから、そこがすごく気になるんだと思う。

また、自己価値が低いと、相手から表面的にちやほやされただけとか、下手したら体目当てで馴れ馴れしくされているだけでも、「自分は彼から大切にされている」とか、「彼から必要とされている」、「彼から女性として魅力があると思われている」と勘違いして、変なやつに騙されるリスクも高まると思う。

私は昔、本当に自己価値が低かったから、そういう男たちの自己価値低い女子を嗅ぎつける嗅覚がすごいのを知っている。そういう奴らは、自己価値低い女子を餌食にするが、結局のところ本命に選ぶのはもっと波動拳が強い女性だ。全て私の勝手な感覚によるが、波動拳=丹田力くらいな感じに理解頂ければと思う。波動拳が強く出せるようになると、ダメ男除けのシールドにもなるのでオススメだ。友人に合気道女子がいるが、彼女のダメ男除けシールドと、気に入った男性と「気を合わせる」能力は物凄いと思っている。

話を戻すが、「今目の前にいる人に奢ってもらおうがもらうまいが、自分には自分がふさわしいと思うもてなしを受けるだけの価値がある」という確信があれば、目の前の男性が奢ってくれないのが、単にそういう金銭感覚なのか、それとも、自分を女性としてあまり魅力的に思っていないからなのか、もしくは、ヒモ気質とかすごいケチだからなのか、そういう相手の細かい事情も察知できるようになると思う。一発で一瞬で察知できなくても、いろんな場面での彼の態度やお金の使い方を見ていれば、自然にわかってくると思う。

それに、男性の「エスコート力」というのは、資格とか免許のような一つの技能にすぎないので、もちろん資格がある方が有利ではあるけど、その人の本質とは別と考えるべきだと思う。エスコート力がある男性の前では「スマートにエスコートされる力」が女性側にも要求されたり評価されている場合が多いので、相手にエスコート力を求めるのであれば、同じぶんだけ「エスコートされ力」を磨くに越したことはないと思う。

そういったエスコートされ力や冷静な眼差しを得るためにも、自分で自分をもてなすのはとても有効な手段のように思う。奢ってくれなかった!とブチギレモードの時こそ、自分の中のイケメン紳士にがっつりもてなしてもらうのが良いと思う。












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