波動を上げる方法

「波動」という概念自体、私の中ではテキトーなのだが、一般的に言われている波動とかエネルギーが良い状態?になる方法について書いてみたい。

結論から言うと、一番良い方法は波動の高い人にたくさん会うことだと思う。エンパスの人は特に。そして、波動の高い人というのは、たいていの場合、社会的にある程度成功しているか少なくとも普通に前向きに幸せに生きていて、世の中の色々な人や物事に対してのキャパが広く、能力的にも有能な場合が多いので、そういう人とたくさん関わりましょうという話だ。

ところで、私は今はフラワーエッセンスを飲む程度でいわゆるスピリチュアルからだいぶ縁遠くなったが、婚活迷走期には色々と手を出していた。何人か、「ヒーラー」と呼ばれるような人にも会ってヒーリングを受けてみたし、そういう人々の集う会に参加してみたこともあった。

当時はそれなりに得るものがあったと思ったし、経験として面白いこともあったのだけど、そういう場で会った人とプライベートまで親密になることはほぼなかった。エネルギーワーク的なものも、よほどの必要性を感じる時以外は、1回受けたらリピートすることはなかった。

「凄い」という書き方をしてしまったけど、私は、エネルギー的なものを「強力なパワー」とかそういう風には思っていなくて、どのエネルギーも、座標とか位置情報のようなものと捉えている。座標なんだけど、座標軸がもっとたくさん多次元にある感じと言えば良いだろうか。例えば一回大天使何ちゃらのエネルギー・ヒーリングを受けたとしたら、感覚とか体感でその座標が自分にインプットされるので、また同じエネルギーを感じたければ、自分でその座標にアクセスすればいいと思っている。

そういう意味では波動の低い場所とかお化け的なものも、ある座標に過ぎないので、ただそこはそういうあり方なだけなんだと思うと、別に怖がる必要もない。でも、そういう周波数に関わる時は自分の一部もそこに同調している時なので、感覚としての不快感はある。

フラワーエッセンスも、特定の意識状態とかエネルギー状態の座標にアクセスしやすくための道具と思っているけど、植物や鉱物という地球由来のエネルギーのせいで帯域が違うのか、飲まないとそのエネルギー状態になるのは難しい。あれは一応「波動製品」だけど、かなり物質次元に近いものなので、意識の力だけでアクセスするのは難しいのかもしれない。「高次元」と言われるエネルギーの方が、意識次第でどうにでもアクセスできそうな感じがしている。

話は戻るが、色々なヒーリングを遠隔も含め、たくさん受けてみたけど、正直言って、ヒーラーの人が扱う「エネルギー」の位置情報だけが欲しくてヒーリングを受けていたようなもので、申し訳ないけどヒーラーの人自体の雰囲気やエネルギーはあまり好きになれなかった。長年お世話になっているカウンセラーさんは実業的な仕事も兼ねているせいか、グラウンディング感も明朗快活さもあって例外的に好きなのだが、他の人たちはプライベートで友達にはなれないかなという人ばかりだった。

スピな人たちの集会では、みんな一般社会の平均より3倍くらい「良い人」たちだったけど、仲良くなれそうな人はほとんどいなくて、結局、一番気が合ったのはたまたま仕事の業界が近い人で、なんというか「現実世界」の言葉が通じる感じに安堵した。それ以外の人たちはスピ用語全開でスピスピした話で盛り上がっていて、私はそこに混ざる気がおきなかった。

その人たちは、現実世界では色々窮屈な思いをしていて、スピ仲間の前では本当の自分でいられると思っているみたいだったけど、その気持ちには全然共感ができなかった。なんだか、宗教の勧誘の人たちに対して思う感覚に近い、「決して悪い人ではないんだろうけど、仲良くはなれないし、なりたくもない」みたいな、もやっとした拒否感を自分の中に感じていた。

そのうち、ヒーリングに興味もなくなり、スピ的なことはカウンセラーさん一本に絞るようになって、そのほかにはフラワーエッセンスだけという生活が定着した。

そういう生活が続いていて、色々な転機を経ているうちに、縁あって社会的に成功していると一般的に言われるような人たちとちらほら出会うようになった。

結論から言って、そういう人たちの方が、ヒーラーと呼ばれる人よりも十中八九エネルギー(というかアクセスしている情報の厚み)がすごかった。

私が出会うことのできた凄い人たちは、大抵グラウンディングがすごくて、体つきも安定感があって、循環しているエネルギー量も実際の仕事量や活動量も半端なかった。そして、情緒が安定していて、ハートもどっしりと開いていて、人格者という印象だった。

面と向かうと思わず萎縮してしまいそうな人もいたけど、それもまたいいのかもと思う。そのくらいの衝撃や波動拳の方が、私の変容を促してくれる原動力になるに違いないと思われた。

彼らは一見、スピな人と比べたら鈍感で、野心や現実的な打算にしか関心がないように見えなくもないのだけど、実は不思議体験をしている人も結構いて、いろいろな話を聞いた。

例えば、ある科学者の知り合いはUFOを間近で見たことがあると話してくれた。どうみても彼が嘘を言っているとは思えないし、そんなことを話して誰得な立場なのにだ。彼は陰謀論だとかムーっぽい話には全然興味がなく、単に自分の経験と感覚をそのまま受け止めているという感じだった。

他にも、スピリチュアルな自然派生活を実践する官僚とか、オバケが見える芸術家など色々な人に出会ったが、皆そういう一般の常識や認識では解釈不能な体験については、そこに過剰な意味づけをするでもなく、「そういうことってあるよね」というくらいの軽い受け止め方で、でも上手にその部分と付き合っているように見えた。みんな普段はそういう体験を隠しているし、そういう話をたくさんの人へ触れ回りたいとは思っていないけど、私も比較的フラットにそういう世界を受け入れているからか、もしくは同じ感性の匂いを嗅ぎつけるのか、なぜか彼らは私が何も言わないのに少し親しくなるとそういう話を打ち明けてくるのだった。

総じて、社会的に成功している人たちは、いわゆる「エネルギーの扱い方」みたいなことを体得していて、直観力と行動力がバランスよく発揮されているように思う。感受性も高いのだけど、それに振り回されていなくて、感受性を有効活用できているという印象だった。

逆に、宗教にのめり込んで、家庭や周囲との人間関係のバランスを崩している人なんかを見ると、一見、表面的な行動だけは「清く正しく」生きているように見えるのだけど、自分哲学が何もないまま盲目的に誰かのいう常識や正しさに追従している感じで、なんというか、コンピューターの中枢部みたいな部分が別のデータにハックされているような感じになっていて、人間としてのエネルギーの充実感が欠乏しているような印象を受ける。

エネルギーが「強い」人といる方が、自分のアクセスできる情報も増えるし、自分も「強く」なりやすいんだけど、相手があまりにも自分とかけ離れた人だと難しい学術書を読むような感じの「遠さ」というか、ある種の困難や不快感が出る。それでも、できる限りそういう出会いは大切にした方がいいと思う。安易にスピに逃げたくなったら逃げる自分を許してあげるのも大事だけど、同時にそれ以外の世界にも目を向け続ける必要があると思う。

スピリチュアル本も、安くて読みやすいものはやっぱり「真理の劣化版」な感じが否めなくて、とっかかりはそこでいいんだけど、深く追求するなら、いわゆる「正統派」な世界(禅のように世界的に認められていて怪しいとあまり思われていないもの)を無視することはできないと思う。

どうしても辛い時、特に結婚できるのか不安だった時など、私はかなり迷走してスピ本を買ったりもした。確かに一瞬の心の安らぎは得られたけど、本から漂うそこはかとないダサさが気になって、気持ち的にその本を本棚に入れておきたくないと思い、読んではすぐ売るか寄付するを繰り返していた。

なんとなくだけど、「波動を上げる」って筋トレと似ているなと思う。自分がダメダメで苦しいと感じても、見合わないと思っても、それでも尊敬できる人や文章との縁を大事にして(筋肉も負荷を与え筋繊維を傷つけないと成長しない)、どうしても辛い時はチートデー的に安易なスピに頼るのも多少許して(たまにはクリームたっぷりのジャンキーなスイーツなどを食べて)、それでも、そのバランスを大きく崩すことはなく継続していくことで変わっていくのだと思う。

私はヒーラーではなく社会のどこにでもいる一般人として、会ったり関わったりしたら他人の波動をちょっとだけ上げられるような人になれたらいいなと思う。そのために、現実と精神面を地道に鍛錬していくというところからなるべくぶれないように過ごしていこうと思っている。










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