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それでも生きてくパパゲーノ

昨日、「ももさんと7人のパパゲーノ」というドラマが放送されていました。伊藤沙莉さん演じるももちゃんは「死にたい。」って言葉が言えずに生きてきました。ある夏、ひょんなことから旅に出たももちゃんはそれぞれに生きづらさと折り合う7人のパパゲーノと出会い、「死にたい」自分を肯定していく、1週間の物語です。

パパゲーノとは「死にたい気持ちを抱えながら、その人なりの理由や考え方で『死ぬ以外』の選択をしている人」を指す言葉。だそうです。

あー私ではありませんか。って思いました。子供の頃からうっすらと希死念慮みたいなのが影のようにくっついているんですよね。物心ついた時から、「やあ!」って友達づらして、出てくるんですよ。「死にたいさん」一種のイマジナリーフレンドみたいな感じで、悪友なんですけどね。死にたいさん。

ももちゃんは家族や友達もいるし、仕事もやって、たまに恋もして、普通に人間やれてしまっているから、死にたいって周り言ったところで、理解されない感じがすごく分かるですね。家族に言ったら、傷つけるし、こんな奴でも生んで育ててくれたんだもんな。って思うし、たまに会えた友達にそんな暗い話するのも違う気がする。だから、ももちゃんが出会うパパゲーノのひとりの玲ちゃんが「嫌だよね」ってももちゃんの気持ちを肯定してくれる言葉がいいな。って思いました。自分は苦しいし、嫌なのに気持ちを否定されるのは嫌だよね。
玲ちゃんの先輩本当に許さない!ただの会社の人間にドヤ顔で頭触られたら気持ち悪いわ!玲ちゃんの代わりにやつの頭をかち割る!!
ももちゃんの一瞬彼氏だったやつ。あれも最悪。おまえなんなんだ。私が私である地獄をおまえにわかってたまるかよ。生きたくても生きられない人もいる?知っとるわ!だから、余計に辛いんだわ!歯を食いしばれ!ってももちゃんの代わりグーパンしたかったわ。すいません。取り乱しました。

旅の途中で雄太という青年と旅をするんですが、彼と喧嘩になってしまうんですね。自分の気持ちに余裕がないから、ひどい言い方をしてしまった。彼は彼のパートナーの自死を止めに屋上へ行くとつげ、ももちゃんも向かいます。自分は死にたいって思うのに身近な人には生きていてほしい。矛盾してるけど、生きてほしいは本心なんですよね。

仲直りして、テントで話をするんですが、雄太は自分は誰なのかわからない。男性なのか女性なのか何なのか分からないと言います。性自認や性的指向が生き辛さってを抱えています。世の中はカテゴライズする方が楽だから、型にはめてしまいがちだけど、決めない生き方だってあってもいいじゃないって思うけど、自分が誰だか分からない苦しさはあるよね。でも、気持ちを肯定してくれる誰かがいると安心できるよね。
朝、ももちゃんと雄太くんが寝転んで
「死にてえー」「わかるー」っ言い合うところ好きでしたね。朝が起きると「あー朝日が眩しい。。うー死にてえ」ってなるんで。

このドラマ自体は何か解決するわけじゃないんですけど、思ったことは自分の「死にたい」って気持ちを否定しなくていいってことですかね。
要はそばに誰かいるわけじゃなくても、

「寝れない人が他にいると思うと安心する」

ってことですね。ひとりではないっていい。

私も今後も朝がきたら、時々「あー。朝だ眩しい。空がきれい。死にてえな」ってなる。
だけど、「今日は金ローでトトロだしな。」「呪術廻戦発売日だしな」「来月、あの映画観たいからもうちょっと生きるか」「ポルノのライブもう一回行きたしなあ」ってこの世界に勝手に付加価値みたいなのつけて生きている。音楽や漫画や映画や小説などの文化芸術に救われてなんだかんだ生きている。

世の中が生き地獄だけど、なんだかんだ救いはある。時々やってくる悪友「死にたいさん」自分も私の一部だから、なんだかんだやって生きますかね。

それでも生きていくパパゲーノ

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