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DIYならぬDII(ゴースト仮説)

わけあってマンションから出る羽目になり、実家の敷地内にあった、誰も住んでいない築40年のズタボロの平屋に引っ越してきたのが1年前(都内→栃木)。その家をちょっとずつDIYで直しながら住んでます。DIYサイコーです。
で、思ったんですが、DIYっていうかDIIですよね、という話です。

Do It Internetself

はい、僕のDIYの師匠はインターネットです。身近にDIYやってるひとがおりませんので、自分で調べて自分でやってます。まさにDIYの精神そのものです(Do It Yourself)。
yourselfだなんて言ってますが、その一方で僕は、ふと立ち止まってこんなことをよく思っています。結局、人間に意志や意識などは存在してないなあ、と。その前提に立つと、人は複雑ではあるけれど、結局は虫と同じように条件反射でゆらゆらしているだけなのです。つまり、僕がDIYをやっているというより、もはやインターネットを起点に僕の手足がインターネットの手足となってDIYやってる、と言っても差し支えありません。ブラウン運動と同じです。すべてのものは、大いなる流れのなかで、たまたま触れた何かによろけているだけであり、それが延々と連鎖しているのです。熱力学的に言えば、インターネットのDIY情報を見ることで破壊衝動に駆られ、ギブス自由エネルギーの差分がマイナスになり自発的に行った(そこに私の意志などない)、ということです。と言うわけで、Do It YourselfならぬDo It Internetself。
…と、僕のゴーストが囁くのです。

ゴースト

DIYがDIIであるという謎理論を展開してふと気付くのは、DII論の前提が「ゴースト(意識)は不在である」ということにも関わらず、僕のゴーストがゴーストはいないと囁く、という矛盾が発生しているということです。
しかし、これも僕のゴーストが解決してくれました。この矛盾はこう説明されます。ゴースト(意識)とは、無意識の反応を自己正当化したものである、ということです。無意識が無意識自身の行動を説明してくれた結果が意識である、というわけですね。つまり、ゴーストこそが無意識そのものであった、ということです。

僕はゴースト

いつの日からだったか、あらゆるものが繋がっている、と漠然と感じています。感じることが大事なんだと感じてます。考えてしまうと、感じることができません。考えたとしても、それが感じることに繋がることに意味があると感じます。最近気付いた僕個人の感覚ですが、情報が感覚に結びつかないと気持ち悪く感じます。青いから冷たそう、というのと同じように、何かの数式を見ても、そこから五感で何かを感じるまで見続けることがよくあります。なんで僕はこの数式を見続けているんだろう?とよく思っていましたが、感覚的にわかるまで、ゴーストが処理してくれているんだなあ、と最近わかってきました。僕のゴーストはそういう奴で、そいつこそが僕の本体らしいです。

ゴースト仮説

ではインターネットって何でしょうか?ハイパーリンクによる参照システムの本質とは何か?それこそがゴーストである、というのが今考えている仮説です。つまり「私のゴーストが囁くのよ」ならぬ、「私たちのゴーストが囁くのよ」なのではないかと。私たちのゴーストに触れることはできませんが、ほんの一部を感じ取ることはできると感じています。一を見て十を語る勘違いになるのか、一事が万事のアナロジーを汲み取るのか。後者として汲み取ったものが、私たちのゴーストであり、私のゴーストでもあり、私そのものである、ということだ…と、僕のゴーストが囁いております。

と言うことで、僕がやっているのはDIYならぬDIIだ…ということでした。
本当はウッドデッキの作り方をまとめるつもりだったのですが、こんなことになってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございます。おしまい。

※そんなゴースト話も何もかも、全ては性癖に繋がっております。性癖物語「ボクはユーレイ」もどうぞ↓

https://nekoman.blog/2022/05/15/%e3%83%9c%e3%82%af%e3%81%af%e3%83%a6%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%82%a4-1%e3%80%9c8/


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